協会誌「大地」No49

(株)日本地下探査 東北事務所 佐藤 幹也 氏

プロフィール

昭和39年12月10日生まれ
B型 東京都出身
ウェザーニューズ入社
趣味は動物の運動会観賞(主に馬)、落語鑑賞

(物探屋さんの巻)

人生の生業として物理探査の道を選択されたきっかけは?

少し話が長くなります。20年以上前、普通に文系の大学を出て、普通に堅気の仕事に就いて数年経とうかという頃、当時お付き合いしていた女性(今の妻です)から、「女二人姉妹の姉だから田舎へ帰らなければならない・・・」と、脅されました。これは東京の仕事を辞めて、一緒に彼女の実家(岩手県奥州市)に帰って結婚するか、それとも別れるかという選択を迫るものです。まだ当時は私もウブだったので、真剣に悩みました。そんなタイミングで上司の非人道的な言動を目の当たりにする事が有って、「こんな奴を管理職に置いておく会社は、一生勤め上げる価値など無い!」と考え、一気に転職と移住の方向に動き出したんです。当時は正義感が強かったんですね・・・今思えば少し魔が差したのかも知れません。

何の当ても無く、見ず知らずの田舎に移り住み、就職活動をしましたが、当時はバブル崩壊後でろくな仕事が有りません。そんな時に、親戚から「オラの同級生がやってる会社で人を探してたぞ・・・まんずアルバイトして見たらや?」と声を掛けられ、結局はどっぷり浸かってしまいました。弊社の人達は、素人の私にも偉ぶる事無く接してくれて、仕事の中身というよりは人間に魅かれて現在に至っているんではないかと思います。もちろん後悔などしていませんよ・・・?

記憶に残る現場はどんなものですか?また、その内容は?

物探しの現場って、とてもシビアで緊張感を伴うんですが、ある住宅密集地での防空壕探しの依頼が有りました。都内の住宅地とあって色々な規制が有ったのですが、地中レーダと比抵抗二次元探査と定常振動タイプの表面波探査を併用して、地下の空洞を探す事にしたんです。

 残念ながら、科学技術の進んだ今の世の中でさえ『空洞発見器』なるものは存在しません。いずれも、電磁波の異常反射であったり、比抵抗や表面波の高低であったりを総合的に解釈して、「これは空洞の可能性有り!」としている訳です。ここでも、地中レーダは探査深度が浅いので、緊急を要する極浅い部分のゆるみや空洞を探すことにして、次に比抵抗二次元探査を、道路という道路全てに測線配置しました。空気中は電気を流しませんので、比抵抗は無限大になります。その現象を利用して、解析結果から高比抵抗部をピックアップしました。硬い岩などが入ってきても、同じく比抵抗は高くなりますので、その地点で表面波探査を実施して、地盤の推定S 波速度が上がれば“岩”、下がれば“空洞”という話しです。『疑わしきは罰する』方針で、最後はボーリングで直接掘って確認しました。しかし、なかなか空洞にヒットしないんです・・・。数十本掘っても当たらず、探査に対する信憑性を疑う声も上がりましたが、「ここにはもう空洞は無い!」という結末で終わるストーリーが出来上がりつつありました。ボーリングも最後の1本、予定深度までは掘っていたのですが、オペレーターさん曰く「何か返ってくる水が減っているような気がするからもう何十センチか掘ってみる」との事、我々も最後の測定作業を終え、後片付けをしていたら、ボーリング屋さんが慌てて走ってきて「空洞が出たよ〜」って・・・。金脈である訳でもなく、別に誰に喜ばれるものを見つけた訳ではなかったんですが、少しホッとしましたね。何でも諦めてはいけないなぁ・・・何て思いました。でもまたストーリーを最初から練り直さなければならなくなって、お客さんは迷惑がっていましたが・・・。

今だから話せる、失敗談はありますか?

まだ私がこの会社に入りたての頃、崩落法面で弾性波探査の仕事が有りました。測線設定作業で、私がスタッフを持って、法肩から斜面部へ降りようと足を乗せた岩が浮石だったんです。私は枝につかまっていたので落ちずに済んだのですが、その岩は下まで落ちて行きました。木が生い茂っていて、下の道路の状態は判らなかったのですが、それまでの人生で一度も聞いた事の無い鈍い音がしたのを覚えています。

すぐに見に行くのが筋だったのでしょうが、法尻には擁壁とネットが有ったし、せっかく大きく廻り込んで上がってきた法肩から降りる煩わしさと、正直恐くて見たくない気持ちとが重なり、そのまま仕事を継続してしまいました。測量しながら法尻に近付くと、事の全容と伴にあの音の正体も解かりました。何と巨大な岩塊が擁壁とネットを越え、その下に止めていた弊社のワンボックスカーのフロントガラスの下、調度ワイパーの辺りに命中し、そのまま道路上に落ちていたんです。大きさは米俵一俵位有りましたかね・・・。とりあえず、交通の妨げにはならないところに岩塊が有ったので、仕事を続けました。仕事が終わって、道路へ降りて来て、まず車が動くのか確認したら、幸いな事に動いてくれました。岩塊を、3人でバールを使って道路の反対の川へ落として、今度は割れたフロントガラスを丁寧に取り除きました。屋根が有るのにフロントガラスが無いという“逆オープンカー”の出来上がりです。

走り始めたら、細かいガラスの破片が座席を襲います。サングラスとヘルメットを装着し再スタート、しばらくすると今度は雨です。そこで雨合羽を着込んで再びの再スタート。更に不運は重なります。信号待ちをしていたら、対面からパトカーが接近してきました。横断歩道を挟んでお見合いです。どう見てもこちらは何かをしでかした車だと思われてます。現場検証とか言って、また引き返すのも嫌だし、信号が青になったら愛想笑いでやり過ごす事に決めました。すれ違いざま、必要以上に爽やかな笑顔で会釈をしたら、お咎め無しで見逃してくれました。おまわりさんも人の子、関わりを持ちたくなかったんでしょうねぇ・・・。そんなこんなで事務所へ到着しましたが、車の修理代が数十万円で、大赤字の現場になってしまいました。

現地調査には「危険」がつき物と思いますが、ケガなど事故回避のための方策は?

確かに危険はつきものですね。数年前の暮れに、北海道の山奥で弾性波探査がありました。勿論、積雪も有りましたが、今の熊はまだ冬眠しないそうです。爆竹を鳴らしたり、笛を吹いたり、一通りの事はしましたけど、やはり恐いので地元のハンターさんに同行をお願いしました。本当はマンツーマンで作業員と同じ人数のハンターさんを雇いたいですけど、予算が厳しくて結局3 人だけ・・・それを8人で奪い合いました。1ヶ月以上の長い現場でしたが、熊の目撃2回、威嚇射撃1回のみで全員無事生還しました。

顧客に満足頂ける成果を提供するために、日頃から心がけている事項は?

よく、物理探査は医者の行なう医療行為に例えられます。確かに地球を相手にレントゲン写真を撮ったり、エコー検査をしたり、CTスキャンで断面画像を撮ったりしてるようにも見えます。「何で医者みたいにピタリと当てられないの?」なんて言われる事もたまにありますが、人間の体は概ね、水で出来ていて、どこにどんな臓器が有るか判っているのですから、装置の開発や診断もやりやすいんでしょうけど、いざ本当の地面の下なんて何がどうなっているのか想像できませんよね。弊社は地質調査の中の物理探査という小さな分野で技術をお売りする会社で、よく弊社の中でも「技術とは?」何て議論になるんですが、私達がやっている仕事ってほとんど機械に頼っているのではないかと思うんです。そういう点から言えば、よっぽど料理人さんなどの方が“技術”を語るにふさわしいのではないかなぁ・・・包丁一本で料理(成果品)を作ってしまうんですから。だから今回のインタビューにある「プロに聞く」っていうフレーズもこそばゆい感じがしています。実際、我々の仕事は細い電線一本断線してしまったらお手上げなんていうケースも有りますからね。

でも我々の仕事の中でも、ほんの一部、ラーメンで言うと最後に振り掛けるコショウ位の量のノウハウが、成果品に良いスパイスを与えているんだろうと感じる事は有ります。これは現場作業でも、室内解析作業でもそうです。どんな山、どんなボーリング孔にも全く同じものなんて存在しないし、教科書通りに事が運ぶ現場やデータなんて滅多にお目にかかれません。そんな毎日を繰り返す事によって、自然と身に付く経験であったり、要領であったり、時には手の抜き方だったりが我々の言う“技術”なのかなぁ・・・なんて気がしています。結局、先人の残した書物を一生懸命読み漁って得た知識より、苦労を重ねて気が付いたら身に付いていたノウハウの方が重宝するのだと・・・。

しかし、書物による知識を完全に否定しているのではないですよ。知識を兼ね備えているのといないのとでは大違いです。現場でのスピード、解析をする上での想像力の巾がまるで違いますから。

“技術者”と“職人”−どちらが偉くて、自分はどちらに属するのかなんて考えるとまた頭が痛くなっちゃいますけど・・・。物理探査業界もご他聞にもれず日進月歩です。私は勉強が苦手な方ですが、ルーチンワークをこなしながら、新技術の開発も大事だと思っています。この業界に身を置く以上、受験生のように勉強し続けなければならないんでしょうねぇ・・・。

【取材後記】

今回は、物理探査の業界でご活躍中の佐藤さんにインタビューを行いました。文系ご出身の「物探屋さん」、といっては失礼ですが・・・、

普段、現場で接している時は、技術屋魂のオーラがメラメラの佐藤さん。現在に至る裏話も含めて面白おかしく、お話し頂きました。

物探屋さんの日頃のご苦労、悩み、そして、なにより、佐藤さんご自身の技術に賭ける意気込みを感じることが出来ました。

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