協会誌「大地」No48

(株)栄和技術コンサルタント地質調査部門 阿部 文雄

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みちのくだより宮城
大崎のごっつぉう

「ごっつぉう」とは、方言で仙台弁のようです。ご馳走のことですが、東北の方ならほとんどわかるのではないでしょうか。私は岩手県宮古市の出身ですが、小さいころから耳にしたような気がします。

「馳走」は本来走り回ることを意味していたらしくそこから客の食事を用意するため走り回る意味となり、さらに走り回って用意することから、もてなしの意味が含まれるようになったようです。

私は、宮城県大崎市に住んで14年目になります。住み始めたころは、古川市でしたが平成18年(2006年)3月31日に1市6町の合併により大崎市となり、県内において人口で仙台、石巻に次いで3番目、面積で栗原市に次いで2番目の都市となりました。

市の名称は、中世(平安時代後期〜戦国時代)に関東よりこの一帯に移住し陸奥大崎5郡(志田郡・玉造郡・加美郡・遠田郡・栗原郡)を支配していた大名(豪族)の大崎氏に由来しているものです。

当市に住んで7年目位でしょうか、ある方に出会い山菜、きのこ採りなるものを経験することとなりました。私は、学生のころに山歩き(登山)を経験し、商売がら山に入ることが多いのですが、そこに生える草木に興味をいだくことはありませんでした。春先のバッケ(ふきのとう)からはじまり、ノビル、コゴミ等々教わりながら採っているとこれがなかなか病み付きとなるもので、欲も出てきて沢山採ろうとするのですが、ある方は毎回私の5倍は採って帰っています。

ある方とは、実は私の義理の母で後述のメニュー提供者です。彼女は、岩出山出身で幼少のころから山歩きをしていたようで普段は、街の女性ですが、いざ山に入るとその動きは豹変します。目のつくりが違うのか、私に見えている山肌とまったく違う風景がみえているのか、瞬時にターゲット(山菜)を捕らえることができるようです。我々の行動範囲は、市内にとどまらず山形、秋田、岩手まで足を延ばしますが、広い大崎市です市内で十分多種多様な山菜を見つけることができます。

市内で採れる山菜にはバッケ・クレソン・セリ・ゼンマイ・ワラビ・ウド・シドケ・タラノメ・ウコギ・イワダラ・アケビノメ・コサンバラ・ニワドコ・アイコ・タカド・クワデ・ヒデコ・ウルイ・カタクリ・ノビル・コゴミ・カンソ他多数あります。

山菜採りを終えて道の駅等の産直市場なるものに陳列している同種の山菜と比較した時優越感に浸ったり、時に残念に思ったりすることがあります。大崎市には、道の駅が2つあります。そのほかにも農産物直売所なるものは、このごろ多くあらゆる所で目にすることができます。古くからは古川に400年の伝統をもつ「古川八百屋市」があります。その歴史は戦国時代末期までさかのぼり戦乱で疲れきった住民に安住の地を与えるため古川の町割を行い慶弔九年(1604年)経済の安定のため三と七のつく日に御日市を開いたのが始まりでその後、十日町でも市が開かれるようになり、古川にある三日町、七日町、十日町の地名は、その名残だそうです。

現在の八百屋市は、7月〜11月の毎週日曜日に古川日曜朝市が、5月〜11月の十のつく日に十日朝市がそれぞれ別の場所で開かれています。写真は、年内最後の日に開かれた古川朝市の様子ですが、ここのミョウガとシソノミの味噌漬けがお勧めです。「おまけね」と言って必ず量的なサービスがあるのが、原価が分からずともうれしいものです。

いくつか「ごっつぉう」を紹介します。

メニュー提供笠原節子

走り回って良い食材をさがし真のごっつぉうを求めるのに大崎市は、恵まれた地であると思っており、これからの旬を心待ちにしています。

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古川朝市の様子

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