協会誌「大地」No48

山形大学地域教育文化学部生活総合学科 生活環境科学コース地学研究室 教授 川辺 孝幸

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被害地震と表層地質の調査

今からちょうど13年前の1995年1月17日午前5時46分に、淡路島北部を震央として、M7.3の1995年兵庫県南部地震が発生し、淡路島から大阪府箕面市にかけての範囲、特に阪神間において大きな被害が発生した。阪神・淡路大震災と呼ばれる1995年兵庫県南部地震による被害は、死者6,434名、全半壊家屋約25万棟という大規模なものであった。

私は、卒論以来、三重県の上野盆地から近江盆地南部の丘陵部に分布する古琵琶湖層群と呼ばれる、昔の琵琶湖とその沖積平野に堆積した地層の研究をおこない、古琵琶湖〜現在の琵琶湖に至る堆積盆地が、約400万年前、上野盆地周辺にどのようにしてできたのか、そして、現在の琵琶湖までどのように運動して現在の場所にたどり着いたのか、また、発生以来の堆積盆地がどのように埋立てられてきたのかなどを調べていた。その結果、基盤のブロック運動を順次繰り返して現在の琵琶湖まで移動してたどりついたことを明らかにした。また、撓曲の詳細な観察から、このような運動は、連続的に起こっているのではなく、数百年〜千年に1回の断続的な運動によって起こっていることも明らかにした。このような運動は古琵琶湖層群堆積盆地だけでなく、大阪湾周辺の大阪層群や伊勢湾周辺の東海層群などでも起こっていて、その運動は現在も起こっていると考えていた(川辺、1990)。

しかし、私の頭の中では、この現在も起こっている構造運動はあくまで地質学的な話であり、一般論としては理解していたものの、人々が生活している場で、人々を巻き込んで起こるとは、現実の問題として捉えることはできていなかった。

当時、すでに大阪を離れて山形に住んでいたが、センター試験の監督を終えた翌日の早朝、ほとんど徹夜でパソコンに向かって仕事をしていた時、早起きして早朝のアニメ放送を見ようとしていた娘から「神戸で地震が起こってえらいことになってる」と、部屋に飛び込んできた。私は、震源情報や中継の神戸放送局の建物や周囲の状況を写す臨時ニュースを見て愕然とするとともに、自分がやってきたことや考えてきたことなど、人々の生活のことを考えながら研究をおこなっていかなければならないと強く反省させられた。

1995年兵庫県南部地震後、芦屋川周辺地域で表層地質と被害との関係について調査をおこない、被害が、堆積盆地の縁辺部の形態が大きく影響していることや、微地形・局所的な表層地質と密接な関係にあることを見出し(図1;川辺,1995,藤田ほか,1996)、日本の盆地や平野の境界部では、同様な地震と被害がどこでも起こりうる可能性を指摘した(川辺ほか,1995)。

1995年兵庫県南部地震後、芦屋川周辺地域で表層地質と被害との関係について調査をおこない、被害が、堆積盆地の縁辺部の形態が大きく影響していることや、微地形・局所的な表層地質と密接な関係にあることを見出し(図1;川辺,1995,藤田ほか,1996)、日本の盆地や平野の境界部では、同様な地震と被害がどこでも起こりうる可能性を指摘した(川辺ほか,1995)。

この間の調査をとおして、地震が起こった時、建物自体の問題を抜きにして、実際の個々の被害は、ローカルなごく表層の地質と密接に関係しているということである。建売りの同じ造りの一連の家でも、何軒か並んだ家のうち2件だけが著しい被害を受けていて、調べてみると、その2件のみ旧河道(放棄河道)にかかっていたなどという例は多い。2004年新潟県中越地震での川口町の被害でもしかりで、被害の大きい役場周辺は後背湿地にあり、その西側は自然堤防で、ほとんど被害が無い(荒川ほか,2005)。構造物を建築する際にはいかにその表層地質を理解して設計・建築することが重要であるかを痛感している。

また、2007年新潟県中越沖地震の調査で明らかになったことは、従来、一度液状化を起こした部分は粒子の再配置によって最密充填されて再度の液状化は起こりにくくなる、と言われていたが、実際には、液状化が起きる条件の場所では、大きな地震のたびに、繰り返し液状化を起こすことである(図2,川辺ほか,2008a、風岡ほか,2008,川辺ほか,2008b)。図2は、新潟県柏崎市長崎の調査結果であるが、荒浜砂丘の内陸側斜面に接する緩傾斜地は、別山川の沖積堆積物上に堆積した、砂丘砂の二次堆積物からなっているが、今回、大規模な液状化・流動化による”地すべり”が発生し、建物被害が出た。住民の話では、前回の2004年新潟県中越地震の際にも同様な被害があり、さらに道路や側溝の古い食い違いから、その前の新潟地震の際にも被害を受けいると考えられる。

このように、砂丘砂の二次堆積物のようなルーズな表層地質で地下水位が浅い場合には、地震で液状化・流動化しても緩詰めの状態になって、地下水位を下げる対策をしない限り、繰り返し液状化・流動化の被害が発生する可能性があるということである。その意味では、たとえば日本海中部地震の際に能代市などで液状化・流動化被害が発生しているが、そのような際の被害マップは、次の地震の被害予想マップになり、対策の必要性のある部分を示しているということである。

なお、最近は、大学や研究機関、コンサルタント会社などが、地震直後に現地に入って調査をおこない、数日中にはインターネットで調査報告書を公開するようになった。しかし、残念ながら、報告書の多くは被害の写真集で終わっている。被害の記録とともに、その場その場で、なぜその被害が起きたのかを意識しながらの調査が必要ではないかと痛感する。

今後とも、人々の生活のことを考えながら研究を進めたいと思っている。

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図11995年兵庫県南部地震による芦屋川流域の被害と表層地質との関係青塗り:谷底平野・放棄河道など低湿地、赤:倒壊家屋、青線:地面の変状。地形図は陸地測量部作成の2万分の1仮製図「西宮町」「今津村」「六甲」「神戸」を使用した。

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図22007年新潟県中越沖地震による柏崎市長崎地区の液状化・流動化被害 (川辺ほか、2008b)

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