協会誌「大地」No47

(株)東建ジオテック東北支店 技術部 土屋 広幸

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31.塩竈みなと祭りの紹介

宮城県のお祭りとしては「仙台七夕」が有名ですが、県内の祭りとして「塩竃みなと祭り」を紹介したいと思います。塩竃みなと祭りは「海の記念日」に開催され今年は、7月15日に前夜祭、7月16日の予定でしたが、台風4号の接近で前夜祭は順延され「みなと祭り」のみとなりました。

当日は霧雨混じりの曇りがちの天気でしたが市民の熱気もあって天気もやや回復し祭りは、大変な盛り上がりを見せました。

みなと祭りは終戦後の混乱が落ち着いた昭和23年に塩竃市民の元気快復を願って始められたそうです。この祭りは、鹽竃(しおがま)神社のお神輿と志波彦神社のお神輿が市内を巡幸するほか御座船「鳳凰丸・龍鳳丸」に奉安し大漁旗をなびかせた多数の供奉船をしたがえ、松島湾内を渡御する港町「塩竃」ならでの海の祭典で非常に艶やかなものです。

御座船の鳳凰丸は鹽竃神社のお神輿を奉安し、龍鳳丸は志波彦神社のお神輿を奉安します。志波彦神社のお神輿が海上渡御に加わったのは昭和39年に水産界の有志によるお神輿の寄進があってからだそうです。

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鹽竃神社お神輿を奉安する鳳凰丸

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志波彦神社お神輿を奉安する龍鳳丸

鹽竃神社のお神輿と志波彦神社のお神輿が一緒に渡御するのは「みなと祭り」の時だけで表坂の二百二段の急な石段を「御発ち」のかけ声のもとに、16名の興丁(よちょう)(心身を清めた白装束の担ぎ手達)が力の限り降りてくる姿は勇壮そのものです。興丁の肩には野球ボールほどの胼胝(たこ)ができている人もいます。

このみなと祭りは、今年で第60回目の開催となり、陸上パレードの「よしこの鹽竃」が祭りをより華やかに盛り上げています。

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お神輿が渡御する表坂

よしこの鹽竃は、江戸時代の流行した「よしこの節」と音楽家の寺内タケシさんが塩竃の民謡「塩竃甚句」からイメージした町おこしのためにつくられた曲です。この曲に併せて地元の小中学生、一般の市民団体が色々な趣向で平成元年よりはじめられた踊るコンテストで今年は参加者も多く老若男女活気があふれていました。

最近の宮城県内の港町は、水産界の低迷により活気が薄れ、商店街のシャッターが閉じている所が目立つ寂しい状況が多い中、このような市民参加型の祭りを見て改めて新たなエネルギーを貰った気がしました。

最後にこの祭りの最中、新潟県では最大震度6強を観測した新潟県中越沖地震が発生し、地震の震源深さが17kmと浅いために甚大な被害となりました。被災された方々には心よりお見舞い申しあげます。

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鹽竃神社のお神輿

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志波彦神社のお神輿

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よしこの鹽竃コンテスト風景1

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よしこの鹽竃コンテスト風景2

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よしこの鹽竃コンテスト風景3

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