協会誌「大地」No46

川崎地質(株) 北日本支社 榊原信夫

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39.第10回おらほの会社 川崎地質(株) 北日本支社の巻

はじめに

川崎地質株式会社北日本支社技術部の榊原と申します。拙文ではありますが、協会紙「大地」の紙面をお借りして、川崎地質株式会社北日本支社の紹介をさせていただきます。/p>

会社の沿革

川崎地質(株)は、昭和18年に東京で創業されました。当時は「川崎試錐機製作所」という社名でした。その後、昭和26年に「川崎ボーリング株式会社」と一旦社名を変えた後、昭和45年に、現在の社名である「川崎地質株式会社」となりました。昭和30年代に全国的な営業展開を本格的に始めて、現在全国各地に支社支店があります。

我が社のヘルメットについているロゴマークには、「B」の文字が入っていますが、これは「川崎ボーリング」時代の名残だそうです。

一方、東北では、昭和38年に仙台出張所として、今日の北日本支社の礎が築かれました。その後、東北支店から北日本支社と名称を変更し、現在に至っています。また、仙台のほか、福島、山形、岩手、秋田、青森の各県に事務所・営業所があります。

会社の紹介

川崎地質北日本支社は、仙台駅東口を出て、宮城野大通りを東に進み、代々木ゼミの交差点を左(北側)に曲がり、七十七銀行とTUTAYAを過ぎてローソンのある角を右(東)に曲がってすぐのパチンコ屋の隣のビルの二階にあります。仙台駅からは約10分程度で着きます。

会社の周辺は、宮城野大通よりは、人通りが少なく比較的落ち着いた環境です。最近では、仙台駅東口の再開発により、新たなマンションやホテルが建設され、徐々ににぎやかになりつつあります。

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会社までの地図

また、平成17年より、フルキャスト宮城球場を本拠に、楽天イーグルスが発足してからは、春から秋にかけて試合のある日には、宮城野大通りの人通りが多くなりました。帰宅で会社から仙台駅に向かう途中で、試合帰りの観客のにぎわいをよく目にします。

また、会社より徒歩で15分程の所に「榴岡公園」があり、4月末には桜の花見の方々でにぎわいます。また、周囲にはお寺も多く大晦日には、そこら中で除夜の鐘が響き渡るそうです。

仙台の川崎地質北日本支社内では、総勢約20名が勤務しており、皆一丸となって技術および営業業務に励んでいます。

当社では、測量、地質および各種調査、設計等の業務を行っており、特に道路、ダム、河川堤防、地すべりなどの調査解析に携わっております。技術部員は、地質調査のため現場に出ることが多く、特に6月から12月の間は、昼間会社にいる人が少なくなります。現場は、東北6県にわたります。青森や、三陸北部方面では、車での現場までの移動で5時間以上かかることもあり、東北の広さ奥深さを実感します。

また、東北の冬の現場、特に脊梁山脈から日本海側にかけての冬の現場では苦労が多いです。東北生まれの方々は慣れていらっしゃるのでしょうが、関西生まれ、関西育ちの割には寒さに強いと自負していた私にも、転勤でこちらに移った最初の頃は、かなりきつかった思い出があります。

雪が降るだけならまだしも、プラスして強風が吹く時は、耐えられないものがあります。防寒完全装備で立ち向かうのですが、長靴を履いている足の先や、顔、首筋から寒さが伝わりじっとしていられなくなります。

その代わり、冬が終わった春先の東北は最高です。桜が咲き乱れ、山では、芽吹き、山菜が顔を出し、草花が咲き始めます。踏査で山を歩くにも一番気持ち良い季節です。

現場では、協会会員の各社さんとも顔を合わせる事が多くあると思います。うちの社員と現場で出会ったときは、ぜひ気軽に声をかけてください。現場の情報交換や、地質の話、うまい食べ物の話など、皆さんと楽しい話ができれば、ありがたく思います。

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会社の写真(2階のフロアが当社になります。)

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