日鉄鉱コンサルタント(株) 川村祐三 |
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古くから、人の功績や、自然の驚異をのちの世に伝える方法が種々考えられてきた。その一つが石に刻み、日と目に付く所に建立することであった。それが碑であった。
観光地や神社仏閣の境内を歩いているとき、ふと目につく路傍の石が実は有名人の俳句を刻んだ句碑であったり、歌を刻んだ歌碑であったりということを多く体験した。
そんなことからいわゆる「文学碑」の探訪がやみつきとなった。
全国的に分布している文学碑はその数6万基に及ぶといわれている。その中から精選し17,000基を搭載して発行された「全国文学碑総覧」(1998年9月21日発行(株)紀伊国屋書店)が現在の文学碑の概要を知る身近な資料と云えるだろう。
岩手の地にも数多くの文学碑が各地に建立されている。前記の総覧では岩手県内に261基あると紹介されているが、私が調べたところでは平成18年11月20日現在で687基ある。
碑主別では岩手県内で石川啄木が94基でトップ、宮沢賢治が81 基で2位となっている。
宮沢賢治の碑2 基について紹介する。
東北道を北上して、盛岡市に近づく頃、西方にこんもりとした山々が見えてくる。標高848mの南昌山であり毒ケ森が連なる。
宮沢賢治が地質調査に出向き、山々を歩き廻った時に詠った歌を刻した歌碑が南昌山の麓、矢巾町大字煙山 南昌山自然公園「水辺の里」の遊歩道脇に建立されている。
まくろなる
石をくだけば
まほもさびし
夕日は落ちぬ
山の石原
毒ヶ森
南昌山の一つらは
ふとおどりたちて
わがぬかに来る
JR田沢湖線小岩井駅前に平成18年4月宮沢賢治の有名な心象スケッチ「春と修羅」の中の長編詩「小岩井農場」の一節が縦書きで次の通り刻まれている。
汽車からおりたひとたちは
さっきたくさんあったのだが
みんな丘かげの茶褐部落や
繋(つなぎ)あたりへ住くらしい
西にまがって見えなくなった
宮沢賢治春と修羅より
賢治は中学のころから何度も小岩井農場を訪れている。作品にも小岩井農場が数多く登場する。
宮沢賢治の生誕110年に当たっている今年、地元小岩井自治会及びまちづくり推進委員会が中心となって建立したもの。
岩手には宮沢賢治のみならず西行法師、松尾芭蕉、石川啄木、高村光太郎等多くの文人墨客の文学碑が沢山ある。岩手にお出での節は一寸の時間を活用して文学碑を探訪されることをお勧めしたい。