特定非営利活動法人レスキューストックヤード |
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1976年9月の安八水害をご存知でしょうか。鵜飼や河口堰で有名な長良川が、岐阜県安八町(現:大垣市)右岸で決壊しました。私は安八町から北へ1つ町を挟んだ穂積町(現:瑞穂市)出身で、当時小学校6年生でしたが、自宅も浸水したことをはっきりと覚えています。でも、家族が一丸となって、浸水による被害を最小限に抑えたり、隣近所が一致団結して、辛い避難生活を支え合いました。やっと水が引いて晴れた日は、もはや地域は家族同然のように、一軒ずつ濡れた家財の搬出などの大掃除を行いました。
あれから30年。家族で陣頭指揮を取った両親は70歳を過ぎ、また同じ災害に遭遇するとしたら、もう昔のようには動けません。また地域はずいぶん様変わりし、隣近所でも顔と名前が一致しない方もおられます。長年地縁・血縁で災害をも乗り切ってきた日本人の営みは、少子高齢化や地域の希薄化で、確実に災害対応力が低下している時代に私たちは生きています。
災害対応力が低下しているのに、地震・水害・噴火など、自然災害は全国で後を絶ちません。むしろ地震は宮城県地震や東海・東南海・南海地震への警戒がますます高まり、またその前後に多いとされる直下型地震も心配でなりません。また台風の相次ぐ上陸や殺人的ともいえる異常な豪雨は今後も増える傾向にあるといわれています。
災害が増えているのに、その対応力が減少しているこの隙間を埋めていくためには、もう一度私たちの暮らしを見つめ直し、とりわけ緊急時には運命共同体となる地域の防災力の向上に力を注がなければならないと思っています。しかし現状の防災のための諸活動は、災害後の「応急対応」が中心となっています。例えば、いくら地域で災害後の組織図があったとしても、本当に役に立つものになっているでしょうか。多くが町内会組織をスライドさせただけで形骸化しているという話をよく耳にします。これからは災害前の「被害軽減」に対する具体的なプランが必要ではないでしょうか。つまり、「家具止め班」「災害時要援護者班」「避難経路チェック班」など、今必要な防災行動につながる組織づくりをする必要があるのだと考えています。
[防災(地震)に関する意識調査/愛知県]
また、阪神・淡路大震災での犠牲者の約半分、また2004年の全国各地での水害の犠牲者の6割以上が高齢者であったことから、「自分の命は自分で守る」というスローガンだけではなく、「自分たちの隣近所は、自分たちで守る」ことをいつもセットにして考えないと、必ず取り残される方があるということです。これでは地域全体の被害軽減にはつながりません。その要となる自主防災組織も、愛知県では97.8%、静岡県に次いで第2位だと誇っていますが、県民の意識調査では、自主防災活動に参加していると答えた県民は約4割にとどまっています。これは愛知県のことだけではなく、全国共通の課題だと言えます。果たして本当にこれで災害から大切な命や暮らしを守れるのでしょうか。
自主防災組織の活性化も含め、地域コミュニティが肝心なのは良くわかります。しかし具体的には何をすればいいのでしょうか。こうした課題について、昨今の豪雨水害を振り返り、考えたいと思います。2000年には東海豪雨水害があり、私たちの地元名古屋も深刻な被害を受けましたが、同じような豪雨が二度とないとは言い切れません。ただし、突然来る地震とは違い、豪雨は「早期避難」さえうまくいけば、命だけは守れると理論上いえるわけです。しかし2004年の相次ぐ水害では全国で200名以上の方が犠牲となりました。昨今も長野県、鹿児島県、島根県などで大きな被害をもたらしました。
台風の進路や雨量の予測はかなり精度が上がり、テレビなどの速報はもとより、インターネットなどではより克明かつダイレクトな状況を得ることができます。また各自治体では首長が「避難勧告」や「避難指示」を出し、住民に危険な箇所から逃げることを周知させるはずです。ちなみに名古屋市では東海豪雨水害の教訓を得て、「避難勧告準備情報」が新設され、画期的な制度で市民に早めの避難を呼びかけています。これは国の制度としても採用され、「避難準備情報(災害時要援護者の避難勧告)」が出されるように改訂がありました。
しかし、これらの情報の伝達手段の問題や果たして住民がその意味を理解しているかという根本的な課題がなお残っています。そして、実際には避難行動につながらず、多くの犠牲者が出てしまうことが繰り返されています。これでは「自助」というか、個々の判断には限界があると言わざるを得ません。そこで、最低限命を守るために、この限界を補う地域コミュニティの「共助」によって回避できないかと思うのです。つまり、住民自らが知り得る情報から地域の危険を早く察知し、かつ避難準備情報や避難勧告、避難指示の持つ意味を正しく理解し、場合によってはそれらの情報を待つことなく、率先して避難行動を起こす人物が地域には必要だということです。地震も含めて、過去の災害の多くの場面では地域住民同士が助け合っています。頼りの自衛隊や消防はすぐには助けに来てくれません。また、防犯や子育てなど、社会的課題が深刻化していく状況で地域の役割はますます高まっているといえます。
このような状況の下、2004年7月の新潟・福島集中豪雨の被害を受けた三条市でこんな悲劇が起きました。「78歳のおじいちゃんと77歳のおばあちゃんのお二人暮らし、いわゆる後期高齢者世帯に濁流が襲いました。おばあちゃんの『77年間生きてきて、こんな恐ろしい水害は初めてだ』との言葉が示すとおり、その日は突然やってきました。最悪の事態となったのは、おじいちゃんが寝たきりだったことです。あわてたおばあちゃんはおじいちゃんをベッドから引きずり下ろし、自分で担いで2階にあげようとしました。しかしおばあちゃん一人の力では上がりません。とっさの判断で居間のテーブルの上におじいちゃんを乗せ、自分だけ2階に駆け上がり窓を開けて『助けてー』と叫びました。しかし辺りは海のようになっており、誰も近くにはいません。おばあちゃんはすぐに1階に下りて家を出て、膝ぐらいまで浸水した道を避難所に向かって突進しました。そこにいた消防団を捕まえて『おじいちゃんが大変なの』と手を引き、家に連れてきました。おばあちゃんの悪戦苦闘はこの間2時間にも及んでいます。どんどん水かさは上がっており、家にたどり着いた頃にはおじいちゃんは水の中。溺死していました?。」
三条市の地域コミュニティは豊かです。この地区の町内会長さんの話では、どの世帯に寝たきりの方がいて、誰が独り暮らしかはみんな知っている。とにかく時間がなかったと悔やまれています。しかし災害はいつも時間がありません。地域が大切なのはいうまでもありませんが、「地域同士仲がいい」ということだけでは災害から命は救えないのです。「共助」のあり方、日ごろの防災に対する意識や訓練のあり方が問われているのだと思います。
私たちは災害前のこうした減災のための活動のほか、災害救援NPOとして、各地の被災現場に赴き、被災者支援活動として、災害当初の炊出しのお手伝いや瓦礫や土砂の搬出、仮設住宅への引越し手伝いや茶話会の開催など、直接的な支援も数多く実施させていただいています。
一方で、たとえば新潟県中越地震では、地震から2年を経て、おおむね復活した田んぼから収穫できた新米を愛知でも購入できるように仕掛けたりして、現在も新潟県川口町田麦山地区の方々と交流を続けています。それは災害直後のみならず、復興期に至る息の長い支援活動から、被災地の移り変わりを直接感じとり、被災者からの生の声を聞くことで、私たち自身の地元の減災にもつなげたいと思っているからです。
この田麦山地区からの最大の学びは、この地区で一番の犠牲者の話です。当時小学校1年生の女の子で、左手3本の指の第1関節からの切断でした。詳細は別の稿に譲るとして、中越の方々の「神戸は他人事でした」という悔いは、まだ被災していない全国の方々にどうしても伝えなければなりません。次こそ私たちは心して被災地から学び、減災のための具体的な行動につなげていかなければならないと思うからです。およそ自治体が配布している防災ガイドに、「家族で防災会議をしましょう」と掲載はされています。しかし、何を話し合い、具体的に何をすべきなのでしょうか。多くは「連絡方法を確認し合いましょう」とか「指定避難所を覚えておきましょう」といった記述ですが、ここでも災害後の行動についての啓発にとどまっているといわざるを得ません。肝心なのは、大切な子どもがけがをしないよう、ましてや命を奪われないためにできることをまずは家族で考え、耐震や転倒防止、安全な空間の確保といった具体的な行動をとることがもっとも大切なのではないでしょうか。およそ小学生が、「お父さん、お母さん、地震が来るので家具の転倒防止をしましょう」とか、「おじいちゃん、おばあちゃん、丈夫な家に住みましょう」と言うでしょうか。この国で、誰が「命を落とさない・怪我をしない」基本的な対策を教えているでしょうか。学校防災や地域防災では、前述した災害後の訓練ばかりしているのではないでしょうか。「防災」といえば、「水・かんぱん」や「応急手当」をすぐに連想し、このこと自体も大切なことではありますが、水やかんぱんがなくて亡くなった方はいません。応急手当より、怪我をしない対策が先決だと被災地が教えてくれています。
青々と育った稲(2006年8月/田麦山)
田麦山小学生全員を愛知万博に招待(2005年8月)
「最初の救助者になれる者は生存者しかいない。」これは神戸市長田区で自動車部品卸商を営むある会社社長の言葉です。震災発生直後、自宅で被災し、幸いたいした怪我もなく、一目散に会社へ徒歩で向かわれました。しかし会社は長田区の大規模火災発生地域で、建物・施設および商品は全焼してしまいました。それでも社員の安否確認や、焼け跡から取り出せるものを探すなど、懸命の作業が続けられました。ある日、通りを挟んだ家のおばあちゃんが家屋の下敷きになり亡くなったことを知らされました。社長は「ハッ」としました。自分はあの日、おばあちゃんが生き埋めになっていただろう時間帯に家の前を通ったと。何十年と会社会社で働いて、その社屋をなくしたことに気をとられ、肝心な人間の救助ができなかった。人が助けを求めていることさえ気付けなかった。人が支えあって生きるという原点を忘れていたという自責の念に駆られました。社長はその後、ボランティア団体のプレハブの拠点に会社の敷地を提供したり、率先して地域の高齢者が集うコレクティブ・ハウスの建築に携わったり、今やこの地域にはなくてはならない存在となっています。「企業として地域コミュニティーの絆を深め、初動の機動力を発揮できる体制を備えていなければならない。」こう言って、震災の教訓を求めて訪れる多くのボランティアや企業関係者に熱く語られています。
企業も「共助」の一員であることを忘れてはなりません。ましてや建設業業界は、いざというときの資機材の提供などで地域住民からかなり期待されていることを、地域住民との訓練の機会などを通じて知らされます。
そのほか、実際に企業が地域の緊急救援に携わった様々な事例を考えると、そのポイントは、「機転の利く社員の存在」であるように感じます。しかし「その時動けるか」という未知数に頼るのではなく、日常の社員教育や訓練にぜひ取り入れて、できれば地域と合同で対策を考える機会を設けるなどして、地域力の向上につなげていただけばと思います。名古屋市中川区の株式会社山田組さんでは、地域の中学校区に対して企業側が呼びかけるかたちで自治会・学校・消防署等と協力して「地域自主防災大会」の開催という具体的なアクションを起こされています。
当法人では、これら災害現場からの学びを減災行動に結び付けていただくための様々なプログラムを実施しています。そのポイントは、@これまではどちらかと言うと他人(行政)任せになっていた防災を、自分たちの課題であることに気づいていただくこと。A単なる講演会だけではなく、ワークショップなどを取り入れた住民参加型にすること。B行政への陳情大会にしないこと。C地域住民のエンパワーメントを引き出すこと。Dできるだけ「楽しい企画」として長続きさせること、です。
言うは易しですが、実際には悪戦苦闘の連続です。巨大地震への警戒という追い風が吹いていますが、防災意識は高まっても、防災行動にはなかなか至りません。「わかってはいるけどできない」「地震が来ても自分は大丈夫だ」と考えてしまうのは、人間の性でしょうか。また防災活動を継続的に実践する難しさや一口に「地域」と言っても、参加されるのは町内の役員で割と年齢層の高い方ばかりであったり、活動を支える資金に乏しかったりと課題は山積しています。しかし、丁寧に地域とお付き合いしていると「自分たちのことだから一肌脱ごう」という核となる方が登場したり、「防犯と連携して取り組んだらどうか」と提案されたりと、解決の糸口が見出される場合もあります。
防災とは、一気に進むものではなく、こうした「きめの細かさ」や「粘り強さ」によって徐々に浸透していくものだと感じています。この意味でNPOの役割はますます重要になると気を引き締めつつ、これからも微力を尽くしたいと思っています。
地域住民と福祉施設との合同避難訓練(名古屋市内)
子供たちとの防災マップ作り(名古屋市内)
全国初?の「防災運動会」(愛知県大府市内)