(株)共同地質コンパオン 橋本 憲幸 |
---|
私の住む岩手県は、南北にのびる北上川と馬渕川の低地帯によって、その東側の北上山地と西側の奥羽山地に分けられます。県土の多くを山地が占めていますので、時には人里離れた山中を地表踏査する機会があります。
私は、愛知県の出身で、お恥ずかしい話ですが、愛知県に在住の頃は、ほとんど山登りもしたことがなく、入社した頃は山に足を踏み入れることにも抵抗がありました。最近ではいくらか自然にもなじみ、山を身近に感じることができるようになりましたが、今回は、こんな私の地表踏査と自然界の動物達との格闘?(格闘しているのは私の方だけですが)の事例をお話させていただきます。
現場は、岩手県住田町の山間部で、この業務では新しく事業を開始する施設の建設にあたり、水源井戸を確保する必要がありました。といっても、地質は花崗岩地帯で、一般的には水理地質的に条件の厳しい地域であります。そのような中、できるだけ良い水源を確保したいと地質構造に起因した岩盤からの取水を計画しました。そこで、予め図上で想定したリニアメント周辺の地質を確認するため、地表踏査を行いました。
今回の山は、山菜も豊富で美しい自然環境にあるのですが、熊、蛇、カモシカなどの自然界の動物も多いところでした。カモシカは別として、熊、蛇はいずれも私の苦手な動物です(好きな人は少ないと思いますが)。会社の先輩にはマムシを捕まえるのが得意な人もいますが、私は大の蛇嫌いで、中でも攻撃的なマムシは最も苦手とするところです。更に、野生の熊は出来れば、一生出会いたくない動物の一つです。今回は、露頭が極めて少ない中で目的の地質構造の手がかりを掴む必要があり、どれ位山を歩いて露頭を探すことができるかが勝負と考えていました。そんな中、踏査に行く直前、現場で小熊が目撃されたということを聞きました。「小熊はまずい。」小熊の近くには必ず親熊がいる。もしも気づかずに小熊に遭遇したら、親熊に襲われる可能性もあります。今までも、熊がいそうな山を歩いたことはありましたが、実際に熊がでた場所に行くことは経験がありませんでした。まず熊について勉強しよう。色々調べている内に、熊について詳しくなってきました。
結局熊に襲われたら、戦うしかないのか?調べれば調べる程、不安になってきました。身長170cm、体重60kg以下の私には到底勝ち目はありません。でもそう言えば、以前に山で熊に出会った年輩の方が熊と格闘して撃退したことがあったよなあ。やっぱり諦めずに戦うべきか、それとも一か八かで逃げるか。・・・ん〜どうしよう。
そこで、私が出した結論は、できるだけ熊に合わないようにすること。岩手県の月の輪熊は、北海道のヒグマと違い本来は攻撃的な動物ではないはず(よっぽどお腹が空いていれば別ですが)。よし、できるだけ熊に出会わないようにしよう。
今日の地表踏査の目的は、図上で推定したリニアメント周辺を踏査して、断層を直接確認する。かなり広域を歩く計画なので、時間内に目的を達成することができるか、更に熊への恐怖感も重なり、緊張がピークに達する。目的地付近まで来て車を降りる。現場の人が熊を目撃した場所のすぐ側である。初めに、笛を思いっきり鳴らす。次にペットボトルをペコペコと何回も鳴らす。周りは特に何の変化もない。「このまま熊に合いませんように」とお祈りをして山に入る。まず、初めの目的場所でテストピットを掘る。
露頭がほとんどないため、地山の地質や湧水を確認するため穴を掘ることにした。1箇所につき深さ1m程の穴を掘る。
全身汗だくになって一生懸命掘っているが、どうしても背面が気になる。掘りながら何度も笛やペットボトルを鳴らす。
1つ目の穴堀終了(目的の地質が確認できず、焦る)。2つ目の場所に移る。また、目的を達せず。この頃から、目的を達成できない焦りから熊の存在を忘れてしまう。ひたすら穴堀りに励む。結局最初の場所では湧水を何箇所か確認した程度で、次の目的地に移る事にした。次の場所は、リニアメントの延長上を数百m歩く計画だ。かなり山の奥まで入るので、忘れていた熊への緊張感がまたよみがえってきた。ひたすら、笛とペットボトルで自分の存在をアピールしながら藪を漕ぎ突き進む。熊が出たという場所近くで、木に熊の爪痕を発見する。「ん、かなり新しい。」周囲を必要以上に眺め回し、ペットボトルを激しく鳴らす。
「あ〜、前途多難である。」せめても、地表踏査の成果があればまだ救われるが、今のところ何もない。気分は一気にへこむ。でも進まなくてはならない。丁度山頂付近に来たころ、どこからか物音が聞こえてきた。動物のものではなく、明らかに人工的な音。よく耳を澄ますと、きれいな鈴の音色だ。一気に気分が明るくなる。こんな山中で自分以外に歩いている人がいるのだと思うと嬉しくなってきた。なぜかこの人に会いたくなった。
「あっ、いた。」大きなリュックに帽子を被った人で地質家さんではない地元の人風だ。遠目に挨拶をした。向こうも挨拶をしてくれた。何かうれしくなって、足取りが軽くなった。その先、100m程いくと広い沢地形が見えてきた。「ん、斜面の脇に何か光るものがある。露頭ではないか?」近づくと結構大きそうだ。気分が盛り上がる。露頭に近づこうとしていたところ、大きな足跡を発見した。「熊の足跡だ。」爪の跡が生々しく、さっきあるいたばかりのように見える。目的の露頭はすぐ先なのだが、足が止まる。
悩んだ末、勇気を放り絞って目的の露頭に一気に駆け込んだ。光って見えたのは、岩盤(花崗岩)であったが、何と転石ではないか。「残念。」気を取り直して進む。
さて、この沢を越えてまた一山越えなくてはならないが、どうも胡散臭い山で熊が気になる。いかにも熊がいそうで、登り口が急で見通しが悪い。悩んだ末、別ルートから回り込んで目的地に向かうことにした。幅1m弱のかすかに獣道の様なところを進む。いつものようにペットボトルをペコペコと鳴らしながら、棒切れで前を突付きながら進んでいると、棒の先端が茶色の物体にあたった。「トグロを巻いた蛇だ。」と思った瞬間、その蛇は私の方に向かって勢いよく飛んできた(実際には飛んでいないかも知れないが、私には飛びかかってきたように思えた)棒を投げ捨てて一目散に逃げた。いい加減その場所から離れた跡、もう一度今来た道を戻るか、元の山超えをするか悩んだが、予定より時間がかかってしまっていたので、後で、反対側から攻めようと思い、次の目的地行く事にした。そんなこんなでその日一日、熊に合うことはなく、日が暮れようとしていた。
一日中、山を駆け回り、ひたすら斜面を削り、穴を掘ったが、結局、本来の目的を達することはできませんでした。精神的な落胆と疲労の中、帰路につこうとしていると、山奥から仲の良さそうな老夫婦が山菜取りから帰ってきた。熊鈴もなく、かなり軽装である。「こんばんは。」と挨拶をすると軽く会釈で返してくれた。地元の人はこんなもんなんだ。熊鈴に笛をぶら下げ、ペットボトルまで身につけて過剰に警戒している自分がふと滑稽に見えました。きっと、熊も遠くから横目に笑っているでしょう。まだまだ、山歩きの経験が少なく、満足な地表踏査もできない自分ですが、早く本物の地質家になれるよう頑張らなくてはと思った一日でした(あ〜、会社に今日の結果をどう報告したらいいんだう)