川崎地質株式会社 北日本支社長 青砥 澄夫 |
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5月の定期総会におきまして、金井亮理事の後任として理事・広報委員長に選任されました。微力ではありますが、この大任を果たすべく精一杯頑張っていく所存です。
地質調査業界は、先に明るさの見えない極めて厳しい環境にありますが、この困難な状況の中でそれぞれの会社・家族を守るために日々頑張っておられる会員各位の皆様方に深い敬意を表しますと共に、理事・広報委員長として少しでも会員の皆様方のお役に立てるような活動をしていきたいと思っています。
私事になりますが、東北は仙台に赴任して4年半になります。元々は東北の生まれで、18歳まで東北の南端、すなわち福島県の南端に近い町で過ごしました。
福島県立白河高等学校卒業後、同級生が東京あるいは東北の大学に進学していく中(土地柄、東京方面を志向する生徒が圧倒的に多かったと思う)、私は一気に東北を飛び越えて津軽海峡を渡り、北海道の大学に進学しました。現在住んでいる仙台、出張で行く盛岡、秋田、青森などの東北の都市は全て通り過ぎるだけの都市だったわけです。青森県に出張した折り、青森駅のホームに立って青森港に係留されている青函連絡船の八甲田丸を眺めていると、青函連絡船に乗るために凍てついた長いホームを歩いた20歳前後の頃の記憶が蘇り、活気があった青函連絡船の乗船風景が懐かしく思い出されます。
余談になりますが、1988年に廃止された青函連絡船8隻の内、4隻は国内に保存されているということですが、残る4隻は海外に売られ数奇な運命をたどった、ということで青函連絡船の時代およびそれに関わる学生時代は遠い昔になったと感じます。
大学卒業後は今の会社に入り、ほとんど東京勤務でしたので、東北の生まれながら、東北の何たるかを知らずに今まで過ごしてきましたが、今になって生まれ育った東北の人情・風土・自然の素晴らしさに感じ入っているという所です。
東京に本社のある会社に勤務している故に、いつ何時東北を離れることになるかわかりませんが、東北にいる間は東北の人間になりきろうと思っていると同時に、東北のために少しでも貢献できれば、と思っています。
当協会の広報委員会には二つの大きな使命があります。一つは、国土交通省東北地方整備局および宮城県との意見交換会を行うこと、もう一つは当協会の協会誌である「大地」を編集・発行するということです。今までの歴代委員長が努力してやってこられた広報委員会の使命をしっかりと引き継いでいきたいと思っています。
まず、国土交通省東北地方整備局との意見交換会のことについてですが、昨年は技術e-フォーラムが仙台で開催されたため実施出来なかったのですが、今年は実施すべく広報委員会渉外部会で現在準備中であります。意見交換会のテーマとしては、
というような項目を考えています。
昨今、設計を主たる業種とする建設コンサルタント業者の地質調査業務への参入が多くなって来つつある中、いかにして地質調査業の専門性と独自性を保持して地質調査業界の業務量を確保・拡大していくか、という視点の基で国土交通省はじめ発注者に対する広報活動を行っていく必要があると考えています。
また、今年は宮城県との意見交換会の実施も考えています。未だ具体的にはなっていませんが、是非実現させたいと思っています。
次に、東北地質調査業協会の協会誌「大地」についてですが、「大地」は各地区協会の協会誌の中でも非常に良くできたものだと思っています。また、本号で45号というその継続性-年2回の発行として20数年にわたります-についても大変すばらしい誇るべきことだと思っています。今まで本誌に寄稿頂いた方々、編集部会委員の原稿依頼に対して快く応じて下さった協会員各位および編集部会の委員各位に対しまして敬意を表しますと共に、お礼を申し上げます。
東北地質調査業協会も、会員数の減少によって厳しい財政事情にあり、広報委員会としましても予算の削減を余儀なくされている状況にあります。予算削減に対する対応としましては、協会誌「大地」の発行部数を減らして配布部数を削減する、カラー印刷は極力抑える、全地連季刊雑誌「地質と調査」の配布部数を削減する、等を行って行きます。
このような厳しい状況にはありますが、今後共、「大地」の内容を充実させ、東北地質調査業協会の活動・地質調査技術の紹介等を通じて発注者にアピールしていくと共に、会員間の情報交換の場となる紙面作りをしていきたいと思っています。協会員の皆様方のご支援・ご協力をお願い致しまして、理事・広報委員長就任のご挨拶とさせて頂きます。