米沢市を囲む山々は毎年全国より観光客を迎え、観光米沢の名を高めていますが、古来山岳は神霊のやどる神聖な場所としてあがめられていました。南に吾妻、西に飯豊、北に朝日の連峰が米沢盆地を囲み、遥か遠く月山、蔵王の霊山をそびえ、昔の人々は、これらの山々は神が天降る場所、祖霊、神霊のやどる処、また遥か遠くより山自体を神そのものとあがめました。愛宕山は上杉鷹山公が雨乞いに登拝された祈雨の山として知られ、至誠天に通じてか大雨が猛然と降り、公は天の恵みに深く感謝し、傘もさされず帰城されたと伝えられています。現在でも米沢では吾妻山の夏山開きには登山の安全を祈願する行事が行われています。
昭和47年置賜史談会員による石碑調査の結果、市内に湯殿山石碑は107基、飯豊山石碑24基が現存していることが判明しました。これらの石碑は当時の民間信仰なり民間行事を解明するために貴重な資料となっています。湯殿山は「お北の御山」、飯豊山は「お西の御山」とも呼ばれ、米沢地方における二大山岳信仰の霊山で、江戸時代にはおびただしい数にのぼる村人が、里山伏を先達にして御山参りを行い、無病息災、家内安全、五穀豊饒を祈祷したので、村中をあげての大切な年中行事となっていました。男子15 歳になると、15 の初参りまたは初山といって村や部落の講に参加し、かならずお山参りをするならわしがありました。参詣道者は、その家郷で行屋にこもり、水垢離をとり別火精進潔斉を7 日間行います。出立にあたっては白衣の行者の姿になり、これより長い苦しい御山参りが始まります。そして山中にしずまる祖霊、神霊に成人となった感謝の報告をすまし、道中の心身の鍛練と精進潔斉を通して、生まれ変わって帰途につくのです。御山参りは若者組に仲間入りするための関門であり、成年式儀礼と深く結びついていたので、この修業をしない男には嫁も行かない、婿にも貰わないと古老は話してくれます。 |