プロフィール
1938年 神奈川県生まれ 血液型A型

趣味:パソコン組み立て、操作、サポート

もともと自身器用のほうだと思っていたが、30歳のときに車の運転指導員からトレースとして当社に入社。当時は、カラス口での手描きのトレースが主流であったが、1996年頃からCADによる図面描きが始まった。手描きから数えると35年間、図面描き一筋に携わってきた。

田中 武雄

日本物理探鑛(株)嘱託
田中 武雄

31.現場のプロに聞く(トレース、CADの巻)

 今回は、図面制作の主流がトレースといわれた時代からCADになった現在に至るまで一貫して社内の図面に関して指導的な役割を果たしてきた田中さんにその極意をお聞きしました。


この仕事をはじめたきっかけはなんですか?

 もともと車の運転指導員をやっていましたが、このときにアルバイトで図面描きのようなこともやっていまして、30歳のときに知人の紹介でトレース職(図工)ということでこの会社に入りました。


いわゆるトレースと言われる時代からCADになった現在に至るまで、図面制作の手法がまったく異なってきていますが、切り替わりで苦労されたと思いますが?

 今振り返ってみますと、1991年までは全く手描きの時代で、サンドマット等の用紙にカラス口で“墨入れ”をしていまして、私自身は鉛筆トレースは、していないんです。それから、1996年頃までは手描きが主流でしたが、東芝ルポのようなワープロ専用機で部分的に貼ったりしていました。1996年以後はCADソフトが手描き〜CADの切り替わりで苦労したのではといわれますが、もともとパソコンが趣味でして、組み立てから操作、サポートに至るまで家に帰ってもやってるくらいですからスムーズに移行できました。


苦労話など有ったら聞かせてください?

 この会社に入社した1960年代後半からしばらくの間は、“高度成長”の時代であったのでとても忙しかった。特に役所の仕事が多く年度末ともなると残業代が基本給より多くなる月が3ヶ月ほどあり、時間的にはきつかったけれど、自分も若かったし、“一年を3月で暮らす良い男”なんて思ってやっていました。社内ではいろいろな技術者が居て、それなりに苦心はしましたが、本質的には苦労とは感じていないです。それから、私が55歳の時に“心筋梗塞”になりまして、人工心臓を使用した9時間におよぶ大手術を受けました。もともと高コレステロールではあったのですが。私らのこの職種は、いつも一番最後の工程になるわけですよ。結局、納期でストレスが蓄積されていたんでしょうね。


特に困ったこと、印象に残ったことは?

 また、仕事の話になりますが、世間ではCADは高性能なワークステーションでやっていたので、そのデータを貰うと、こちらの非力なパソコンでは開けなかったことがあります。最近はパソコンの性能が急激に上がりましたね。

 それから、この仕事をしていていつも感じているのですが、うちらのような地質調査業の図面トレース、図面CADは、“アナログ的”な図面なんですよ。別に時代遅れということでなく、あまり上手く言えないですが、例えば、機械トレース、CADというとそれこそ単位がmmで、1mmの狂いもなくきっちりと描く。しかし、こうした図面と比べるとわれわれの図面は、地質業界独特のデータの許容性があり、これが図面を制作する上で意外と必要なことではないかななんて思うこともあります。

 また、最近感じていることでは、依然として紙の使用料が減ってないということです。提出部数に問題があるのか、ここの部署だけで1,300m/3ヶ月でした。


工夫したこと?

 かなり昔のことですが、青焼き全盛時のときの原図の貼り合わせやシールに使用した粘着フィルムの材料を随分いろいろ探したことがありました。また、ワープロ専用機を作図に使用したこともありました。今で言う“簡易CADですね。それから、粘着フィルムで思い出しましたが、サンドマットなどのフィルムメーカーのモニターになって、いろいろな意見をメーカーに言いました。


現場担当者に一言?

 最近では皆さん現場で毎日CADデータを作っています。しかし、何となく作っていて、最終的な成果品に結びついていないものがあり、結局作業が二度手間になっている場合があります。まあ、こうしたことは普段の成果品に対する意識の問題と思いますが、気をつけた方が良いと思う。

 それと、これは現場担当者だけのことではないのですが、例えば国交省のCAD製図基準、地質調査整理要領などは毎年のように改訂されていますから、いつも気をつけていた方がよいと思う。
 見をメーカーに言いました。

 若手のCAD担当者はいるのですが、いままでのこのシリーズとは異なりなかなかベテランが近くに居りませんでした。したがって、とうとう東京まで出かけてしまい、やっとインタビューとなりました。久しぶりに田中さんにお会いすることができましたが、心筋梗塞で大手術を受けたとは思えないほどお顔の色つやが良く一安心でした。

 すでに会社を退職され、現在は会社の嘱託として週3日の出社ということですが、図面制作では現在でも全社員に対して指導的な立場に居られるようです。いろいろな話のなかで、特に地質図関係の着色は中間色が多く、出力装置によって思った色が出にくく、ハッチングや線種で苦労しているなど相変わらず研究熱心なお人柄がみられました。最後に素敵な名刺をいただきました。ここに、ご本人の了解を得ましたので、掲載させていただきます。


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