大成基礎設計(株)

杉原 勝利

 

64.みちのくだより宮城 仙台で暮らした6年間

 平成15年5月から、この「大地」を編集する広報委員会大地編集部会の委員になって4ヶ月あまりで東京に転勤になり、東北(仙台)を去るにあたり、投稿の依頼を受けてしまった。そこで私が仙台で過ごして感じたことについて述べたいと思います。

 私は入社して3年がたったころ、そろそろ転勤させられるころかなと思っていたとき、上司から呼び出しを受け、「4月から仙台へ行ってくれ」と言われた。そのころ希望地としては名古屋、大阪を考えていたので、即答することができなかった。しかし、趣味であるスキーをするにはスキー場は近く、実家の埼玉までは東北道で帰れることから仙台でも良いかなと思い、次の日には「行きます」と返事をした。

 この転勤をきっかけに、当時付き合っていた彼女(現在のかみさん)と結婚することとなった。私は生まれてからずっと埼玉県の川口市で育ち、この転勤で初めて違う場所に住んだ。平成9年5月、車に布団と小物を積んで仙台に向い熊野堂の丘陵地から仙台の町を見たとき、海も見えて思っていたよりもきれいな町だなと感じた。車で4時間かかり、遠くに来てしまったと思った。

 それから6年間仙台で過ごして感じたことは近くに泉ヶ岳などの山々があり、広瀬川、名取川が流れ多彩な自然景観に恵まれており、市内もケヤキ並木が広がりみどり豊かな都市でとても住み心地のよい所でした。また、食べ物も塩釜や女川、気仙沼などの漁港が近いせいか魚介類がとてもうま¥く仙台に来てから10キロも太ってしまった。(牛タンもおいしかった。

 仕事については、東京にいた3年間の7割は埼玉スーパーアリーナがある埼玉新都心関係の調査(土質、地下水)で、ほとんどが都市土木の調査だった。仙台に転勤してからは初めてクリノメーターとハンマーを持って山の中を踏査するなど地質(岩盤)調査も多く経験できた。現場は東北六県の他、新潟県や北海道まで行って来ました。なぜか私の行く冬の現場ではほとんど雪が降り、時には大雪に遭遇するなど、会社では「雪男」、「寒冷地仕様」と呼ばれていました。

 当協会については若手セミナーに2度参加させてもらい、同業他社の若い人たちなどと交流ができ、様々な意見や経験談を聞くことができ大変勉強にもなった。

 大地編集部会のみなさまには、短い間でしか活動できなかったため大変ご迷惑をかけました。今後も魅力ある大地の発行を期待します。また、読者の方々へ、寄与していただける情報がありましたら是非、協会の広報委員会までご一報をお願いします。

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