仕事そっちのけで遊んでばかりいるので高校時代の同級生から“大地”への原稿を依頼されてしまいました。読者のみなさんは地質調査などの仕事でフィールドへ出る機会も多いでしょうから、中には季節外れの話題もありますが、私の経験なども含めて書いてみたいと思います。
1.ハチ刺傷(スズメバチ)
表1 に示した通り、野外で遭遇する有毒動物の中でも最も被害が多いもので、そのうちの約8 割がスズメバチによるものと考えられており、林業に従事する方たちには切実な問題になっています。表からははずれますが、1984
年には73 名が犠牲になりました。スズメバチは日本には3 属16 種が生息しており、このうち被害が多いのは大型のスズメバチ属のオオスズメバチやキイロスズメバチと、幼虫を食用にしている地域もあるクロスズメバチ属のクロスズメバチです。ミツバチの針は釣り針のようにかえしがあるので、一度刺すと抜けずに刺したハチは死んでしまいます。蜂の一刺しの所以です。しかしスズメバチは何度も刺すことができます。ハチの針は産卵管の変化したもので、すなわちメスしか刺しません。スズメバチは攻撃性、威嚇性とも強く、また攻撃する際に警報フェロモンをあたりに撒き散らし、集団で襲ってくるという性質を持っています。
ハチの毒の成分は多種類にわたり、症状は局所症状と全身症状に分けられます。局所症状としては生体アミンやペプチドによる発赤・発熱・腫脹(はれる事)・痛みのほかに組織の壊死(腐ること)が起こることもあります。全身反応としては軽度の場合は全身の蕁麻疹、呼吸困難、胸苦感、動悸などですが、重症の場合、短時間の間に意識消失、血圧低下、喉頭浮腫(喉がむくんで呼吸ができなくなる)、気管支痙攣(肺の隅々まで空気を吸い込めなくなる)などのアナフィラキシーショックという致命的状態になります。アナフィラキシー反応は卵や給食に出たソバなどの食物アレルギ−で最近みなさんの目に触れる機会が多いものです。体内に入ってきた物質(抗原といいます、ハチ刺傷の場合はハチ毒の酵素蛋白と考えられています)に対して、われわれの体の中で抗体が作られるという免疫反応が起こりますが(これを上手に応用したのが予防注射です)、この免疫反応が過剰に起こったものです。一般には今まで刺された回数が多いほど症状がひどくなるといわれていますが、そうでない場合もあり、花粉症などの他のアレルギー疾患を持つ人がなりやすいというわけでもありません。
ハチに刺されないようにする注意点がいくつかあります。スズメバチやミツバチは、クマに対する防衛本能という説もあるのですが、黒くて動くものを攻撃する性質があるようです。また、化粧品などの香りの強いものにも反応します。巣には近寄らないようにして、偵察中のスズメバチに出会ったら相手を刺激しないように静かに立ち去るのが無難なようです。
表1 有毒動植物との接触での死亡者数 |
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(厚生労働省、人口動態調査より、なぜか総数が合いません。) |
図1 モンスズメバチの巣。泥を集める場所によって色調が違うのできれいな縞模様になる。(太白山自然観察の森) |
刺された場合、ミツバチの場合は毒袋がついた針が残るので、つぶさないようにこれを除去します。毒液もなるべく除去したほうがいいので、口の中に傷がなければ吸い出したり、手で絞ったりします。毒液の吸出しキットであるポイズンリムーバーはヘビのときも使えて便利ですので、野外での作業には持っていくといいでしょう(1000
〜3500 円程度でアウトドアショップなどで入手できます)。軽症のものについてはステロイド含有抗ヒスタミン剤の内服や軟膏で対処します。ハチの毒は中性のことが多いのでアンモニア水はあまり意味が無く、したがっておしっこをかけても無効です。病院にかかる際は、可能ならば刺されたハチを持っていくと対処がスムーズに行くと思われます。重症の際はいかなる手段を使っても病院にいくべきです。病院では十分な輸液、ステロイド、アドレナリンの注射及びそれぞれの症状に応じた対症療法を行います。アメリカでは林業関係者はアドレナリンの自己注射のキットを携帯しているそうですが、最近日本でも医師の処方で入手可能になりました(エピペン、メルク社)。ハチ毒アレルギーのある人や、何度か刺されたことのある人にはいいかもしれません。
図2 スズメバチの標本(太白山自然観察の森)
<コラム>
僕がスズメバチ刺傷の患者さんを初めて見たのは酒田にいたときです。ある夏の暑い日、90 歳のおばあさんが刺されて救急車で急患室に運ばれてきました。血圧は60
くらい、意識朦朧で危険な状態でした。すぐに点滴を始め、ボスミン(アドレナリン、強力な血圧上昇と気管支拡張作用を持ち、喘息の治療にも使います。前述のエピペンの成分もこれです。)を注射したところ回復し、翌々日は元気に退院されました。“こいつにやられた”と家の人が持ってきた5cm
はあろうかというオオスズメバチはまだうごめいており、たかがハチと侮れないなと強く感じました。このときのハチはホルマリンに漬けて標本にしてとってあります。ハチは地方によって呼び名が変わるので患者さんには実物を見せて指差してもらうのが確実なのです。例えば、スズメバチをクマバチという地域がありますが、学名上のクマバチは花の蜜を吸う黒い毛に覆われたおとなしいあまり毒の強くないハチです。 |
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2.毒蛇咬傷
日本にいる毒蛇の代表的なものはハブ・マムシ・ヤマカガシの3 種類です。沖縄や奄美大島などにいるウミヘビとハブはここでは割愛いたします。1980
年代は平均して年に約15 名の死亡者が出ていました。最近は環境の変化などの理由からか減少傾向にありますが、それでもハチ刺傷に次ぐ多さです。
マムシは銭型模様が特徴的で、人間が近づいただけで防御のために咬むという攻撃的なヘビです。蛇毒は大きく血液毒と神経毒に分けられますが、マムシの毒は主に血液毒で、かまれた場合には激しい痛みと、局所からさらにその体幹側への腫脹の進展、皮下出血、所属リンパ節の腫脹・圧痛が見られます。重症の場合は局所の腫脹が進行し、放置すると血流障害をきたして手足の筋肉が腐ることがあり、この場合は減張切開という手術が必要になることもあります。吐気・嘔吐、血圧低下、複視などの全身症状は重症化の可能性が大です。
稲刈りや草刈りの際に咬まれるため、作業の際は長靴や手袋をするようにして予防します。これでも咬まれた場合は、まず毒液を極力搾り出し、咬まれた部位より中枢側(胴体に近い方)を縛って毒がまわらないようにします。乱切といって局所を切開して脱血する方法もありますが、感染や後遺症の点でフィールドでは行ってはならず、専門家に任せましょう。病院まではできるだけ静かに来るようにしてください。走れば毒がまわります。
治療については、まず局所の感染予防と破傷風(注参照)の予防です。ヘビに限らず野生動物の口腔内には破傷風の菌がいるものとして対応することが必要です。脱水になりやすいので十分な点滴も必要です。マムシの毒に対しては、抗毒素血清と植物からとったアルカロイドであるセファランチンという薬を使います。抗毒素血清の使用についてはアナフィラキシーショックなどの副作用の面からいまだに議論もあるところなのですが、僕は局所症状が重篤な場合や全身症状があるときは使用するようにしています。現に抗毒素血清を使用しなかったことによる訴訟も起こっています。
ヤマカガシは赤い模様のあるきれいなヘビです。性格はおとなしく自分から咬んでいくことはありません。ヤマカガシ咬傷はこのヘビを捕まえた際に起こるもので、被害者は例外なく男性で手指をやられています。このヘビが毒蛇であるというのが分かったのは最近のことで、1972
年の死亡報告例が最初で、1984 年の愛知県での中学生の死亡例で注目を集めるようになったと思われます。ヤマカガシ咬傷の症状は頭痛と出血傾向が特徴的です。約半数がDIC
(播種性血管内凝固症候群)や腎不全に移行するそうですが、こうなるとかなり重症です。DIC とは血管の中で血液が固まり凝固因子が消費されることで逆に末梢組織での出血傾向が起こるという複雑な病態です。腎不全の場合は人工透析を要することもあり、私が勤務する以前に仙台市立病院でも透析による救命例があったそうで、上司からはヤマカガシの恐ろしさをよく聞かされました。ヤマカガシ咬傷の場合は、抗毒素血清が唯一の根本的な治療です。
図5 ヤマカガシ(奈良教育大学自然環境教育センターのホームページより転載)
<注>
ちなみに破傷風の予防接種は1968 年からジフテリア・百日咳とともに3 種混合ワクチンとして開始されましたが、接種されてない方もいらっしゃるようなので、お母さんに聞いておくといいでしょう。やっていれば追加免疫のための注射だけでいいのですが、やっていないと時期を置いての3
回の接種が必要です。
<コラム>
これも酒田での経験です。マムシに足を咬まれた中年の女性が入院し、急性期は乗り切ったもののしばらく腫れが引きませんでした。退院して僕の外来に来る度に藪医者扱いして言いたいことを言って帰るおばさんの背中に“咬んだの僕じゃないんですけど”とつぶやいていました。深く咬まれたり、注入された毒の量が多いと腫れが引くまで結構時間がかかるようです。このおばさんはあとあとまで足が太い気がすると言っていましたが、いくら医者でも元より細くはできません!
仙台市立病院では女の子が蛇に咬まれたといってお父さんに救急室に連れてこられました。本人はけろっとしており、傷もどこをかまれたのというくらい浅く、何よりお父さんが持ってきたヘビがアオダイショウだったために安心して傷の処置だけでお引取りいただきました。研究用にと言ってそのヘビをもらい受けたのは言うまでもありません。よく見ると愛嬌のある顔をしており、子供たちと観察した後、近所の森に逃がしてやりました。いまだに恩返しはありません。アオダイショウが家にいるとネズミが寄り付かないので地方によっては守り神にして大事にしているところもあるそうです。山口県の岩国市の天然記念物のシロヘビはアオダイショウのアルビノです。 |
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参考文献
1)松浦誠.スズメバチはなぜ刺すか.札幌、北海道大学図書刊行社、1988.
2)内藤裕史.中毒百科-事例・病態・治療.東京、南江堂、1991.
謝辞
記事中、蜂の巣やマムシの標本は仙台市、太白山自然観察の森の早坂徹さんのご協力を得ました。改めて御礼申し上げます。紹介させていただいたたくさんの患者さんたちにもお礼の言葉を伝えたいと思います。
筆者紹介
大江洋文(おおえ ひろふみ)岩手県立磐井病院外科長
<履歴・職歴>
1960 年 仙台市に生まれる。
1978 年 仙台第一高等学校卒業。
1984 年 東北大学医学部卒業。
1984 〜87 年 仙台市立病院外科で研修。
1987 〜94 年 東北大学第二外科に入局。
酒田、北上、大迫、豊里、佐沼、相馬、仙台(市立病院)などあちこち短期間のどさまわりをして度胸を磨く。
1994 年〜 現職。クマの出る病院に単身赴任中。本人は単身不倫にあこがれている。
<登山歴>
1984年 大学入学とともに登山を始める。
1985年 仙台一高山の会入会。
1989年 仙台一高山の会崑崙登山隊。
2002年 日印合同東カラコルム登山隊(日本山岳会)。
技術も体力も無い。山で少し医者みたいなことをしますというと、たいてい連れてってもらえるので海外経験は2 度ある。働かず酒ばかり飲んでいるので評判は悪い。崑崙山脈では、ベースキャンプで酒が切れて消毒用アルコールに手を出した。バンコック空港では免税店で買ったウィスキーをロビーでペットボトルに詰め替えて機内に持ち込み、世界中の人の顰蹙を買った。天安門事件直後の戒厳令下の中国ウルムチの食堂で酔っ払ってマドンナの曲にあわせてダチョウ踊りを披露し、警官を含めた多数の人民に遠巻きに取り囲まれた(本人記憶なし。)戦乱のインド・カシミールではバザールで沢田研二と水戸黄門を歌い住民の喝采を浴びた。おだてられると何でもやる。仙台に親戚付合いをしている妻と3
人の息子がいるらしい。
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