(株)ダイテック 代表取締役  三上 博美

三上 博美

29.若かりし時の事

(始めに)

 今回、東北地質調査業協会の方から、投稿の御依頼が有り、何を書いて良いか正直戸惑いました。
 と申しますのも、私は地質業務に関してほとんど実務経験も無く、総会等にも余り出席しておりませんでした(陳謝)。従いまして私ごときに御指名があった事にかなり戸惑いを感じましたが、若かりし事と今感じている事を述べさせて戴きます。

(幼少期)

 私は、1949 年に青森県弘前市の中心部から車で約20 分程の相馬村と云う小さな山村で生まれました。幼少の頃は、交通の便はバスで有り祖父がバス会社の株主で有った事より、祖父にしょっちゅう弘前市内はじめ様々な所へ連れて行かれました。

 その祖父に同行して行った先に今、国土交通省が計画している「津軽ダム」で水没する「尾太鉱山」が有ります。幼少時バスで山道をさんざんに走った先に、大きな機械群と団地群が有った事は鮮明で有りました。そして鉱山を往来している人達はいつも聞き慣れている津軽弁でなく、標準語で有った事も強い印象を感じました。又、食堂に入りましたら、昼間からお酒を飲んでいる人を見て異様に感じられました。

 本誌を購読されている中には、鉱山関係に従事された方もおるかと思いますが、今考えれば、私と地質との最初の出逢いで有った様な気がします。

(20 歳代)

 その後、高校、大学を経て、東京都内のゼネコンの小会社に入社致しました。昭和40 年代の東京は、高度成長期で有り、私はその時建設業界の様々な側面を見てまいりました。

 現場事務所においては、現場の所長(現場監督)が下請業者の挨拶(手みやげ)がないと工程などで下請いじめをしたり、現場内での職人同士の喧嘩等も直接目に致しました。

 又、上司に連れて行かれて銀座のクラブなどにも行きましたが、要はお客さんを自宅までお届けするのが仕事でした。

(現在の会社にて)

 その後32 歳の時現在の会社に入社し現在に至っております。先程も申し上げましたが、私は建築が専門なので地質業務に関しては経験が有りませんが、建築の設計、施工時には柱状図などで間接的には地質業務に接しておりました。

 只、杭工事で苦い経験をさせられた事が有ります。それは、地質調査の報告書をそのまま引用して杭長を決定したら、試験杭で10m 程余ってしまった事です。今は設計変更で問題ないと思うでしょうが、当時は施工者より減額に了解を得る事が、大変で、発注者からは設計ミスでないかと云われ大変な苦労をした事が有ります。地質業者の報告書が先端支持力のみで杭径を決定した報告で有ったのに対し、実際は周辺摩擦力が大きな影響を受けました。今で有れば設計変更が常識ですが、その様な時代も有りました。

 今は発注者、受注者の間で契約に関する責任が明確化されており、若い方は信用なされない方もおるかと思います。しかしながら、20 〜30 年前までは、地質業界も建設業界も現場においては似た様な状況だったかと思います。私の知る限り、今は全ての業務は仕様化され、マニュアル通り行う事で、大きなミスは生じない事と思います。只、この様なシステム化されるまでには、先輩の方々の努力が有った事について、若い方は忘れないでほしいと思います。

 私自身も若い時にお客様から車中で、本音やアドバイスを得た事はもとより、自分自身のミスもカバーしてもらった事も有ります。その様な事が出来たのも、今で云う古い信頼関係が有ったからかと思います。最近は年のせいか、つい「昔は良かった〜」と思う時が有ります。

(まとめ)

最後と成りましたが、これからの時代もお客様との信頼関係については、永遠に続くものと思われます。只、現在はその言葉を「顧客満足度」と云う言葉に置き換えている様です。

 今、私共を取り巻く状況は大変な時と思います。しかしながら、中味こそ変化すれども、お客様との信頼関係は永遠に続くものと思われます。

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