17.ものだって疲れる
荷物を持っていると段々重く感じるようになる。山に登っていると初めは元気いっぱいでも次第に足が重くなる。つまり人間は仕事をすると疲れてくる。
梁や柱も人間ほどではないが荷物を背負っていると段々疲れてくる。長い時間荷重をかけておいたり、何回も繰り返し荷重をかけると、普通よりも小さい荷重で壊れるようになる。これを材料の疲労破壊と呼んでいる。
疲労には二種類あって、繰返し荷重によるものと、持続荷重によるものとがある。繰返し荷重による疲労が最初に注目されたのは、19 世紀で鉄道の車軸の疲労である。研究の結果普通に言う強度の約30
%以上の荷重を何100 万回もくり返しかけると疲労で破壊するという実験結果が得られた。
次に世間の注目を浴びたのは、世界最初のジェット旅客機コメットの空中分解事故である(1954/1/10 と4/8 の2 回)。好天気の青空の下を順調に飛んでいた飛行機が原因不明のまま空中で突如粉々になった。この飛行機は高空を飛ぶために客室内に与圧をしていた。つまり10,000m
近くの高空を飛ぶので、乗客が高山病にならないように客室内に圧力を掛けていた。計算でも、実験でも安全だったのに、1952 年5 月営業運転が始まり、飛び立つたびに与圧と減圧をくり返すと、機体がだんだん疲労を起こして2
年弱たったある日突然爆発でもしたように破壊した。飛行機はゴム風船を針でつついた時のようにバラバラになり空中に飛び散った。
再び疲労強度についての研究が行われ、鉄道車両の車軸とは比較にならない少ない回数で破壊する、低サイクル疲労という現象が突き止められた。その後ジェット機はすべて与圧しているが安全に飛んでいる。飛行機を作る前に寿命が尽きるまでの与圧・減圧回数に余裕を加えた回数だけ試験をして安全を確認しているからである。
3 度目は日航機御巣鷹山事故である。1985 年8 月12 日お盆前の満員の客を乗せたジャンボ機は迷走の果てに山に激突した。7 年前の大阪空港で起きた尻餅事故のあと、補修した圧力隔壁が何回も与圧、減圧を繰り返している内に突如破壊し、そこから大量の空気が噴き出し、後部方向舵を吹き飛ばし、飛行機は制御不能になり御巣鷹山に墜落したのである。
飛行機や車軸でなくとも、吊橋のケーブルなども風に揺れて疲労破壊することがある。繰返し荷重による疲労破壊が怖いのは、殆ど前兆がなく突然壊れることである。注意していれば防げるとか、計測していれば予防できるとか言うことにならないのが怖い。
鉄道トンネルの路盤も列車の繰返し荷重で疲労するが、これは急に脱線という事にならないので危険性は少ない。
18.長年働いても疲れる
もう一つの疲労は長い時間荷重をかけ続けた場合である。ジャック・ハイマン教授なる人は「5 分間建っていられる建物なら、500 年たっていられる」と云ったそうである。地震のない国の学者らしい発言である。しかし現実には風もない、静かな日に突如ビルが壊れたり、橋が落ちたりすることが稀にある。
この疲労は飛行機の事故ほど目立たないし、施工不良とかに原因が押しつけられて研究は少ない。しかし土木構造物は大抵作ったら荷重はかけっぱなしである。そうすると岩石もコンクリートも鋼材もやっぱり疲れる。荷重をかけ続けるとクリープというゆっくりした変形が起こるが、普通に言う強度の70
%より小さい荷重ではこのクリープ変形は段々遅くなり、ついには測れないほどになる。ところが70 %位以上の荷重をかけ続けると変形速度は最初は段々遅くなるが、途中で逆転して早くなりはじめ、遂に破壊する。つまり、こちらの方の疲労破壊は精密に計測していればだいたい予測できる。
地滑りが最もよい例で、動きを観測していると、もうそろそろ止まるのか、あるいはもうそろそろ速度が増えて、破壊に至るかが予測できるという(かなり難しくて当たる確率は半分くらいか?)。地山のトップリング、法面やトンネル切羽の崩壊、トンネルの後荷も似たような現象で、トンネルの切羽にも同じ原理を利用しようとする研究もあるが、毎日毎日こんな観測をするのではやりきれない。地滑りは滅多に起きないから良いが。
地山の毀れ方は疲労破壊や衝撃荷重ではガラスのように突然こなごなに割れるが、地質変化的速度でゆっくりと荷重がかかると割れないでアメのように曲がることは地質屋さんには周知のことである。(米で作った飴というのは、最近あまり見かけないが、これはハンマーで叩くと粉々に壊れる。ところがこれをゆっくり曲げると、壊れずに曲がってしまう。最もウンと寒い冬ではかなりゆっくりでもパリッと割れることが多い)。硬い岩石が、余りひび割れもせずに見事に曲がっているのを切取法面やトンネル切羽で見ることも多い。先に云ったネバネバ分の力は急に働く力には抵抗するが、じわじわと何時までも掛かってくる力には妥協してしまうんじゃないか、角張った砂などはそこへ行くとなかなか大したもので、辛抱強いのではないかと推定される。ただ先にも述べたように試験に時間がかかるので、どんな岩石は辛抱強いとか、これはあきらめが早いとかの試験データーが余りない。後荷で困ったトンネルの例を地質、土被り、施工法など別に整理すれば分かるかも知れないと、現地に立ち合うことの多い地質屋さんに期待しています。
19.くたびれ果てた強度
始めて現場に出た頃、切土擁壁の施工を見ていてどうにも腑に落ちなかった。擁壁の基礎を掘っているとき地山が自立していないと施工できないわけであるが、さて1
ヶ月近く掛かって、切土をし、擁壁の根掘りをし、擁壁コンクリートを打って、裏型枠を外して、裏にぐり石を入れながら埋め戻しをして、何ヶ月も経ってからやっと擁壁は強度を発揮するわけであるが、学校で習う擁壁の計算はこんな時間経過に関係なく、内部摩擦角φと粘着力c
から土圧を計算し、擁壁の安定を計算する。擁壁基礎の根掘りをしているときが一番危なそうで、その時安全ならもう擁壁など作らなくても良さそうに思われるのに。
同じことはトンネルの切羽でも感じる。シールド工法や縫地工法でない普通のトンネルでは切羽は発破をかけてから数時間はむき出しのままである。数時間後にずり出しがすんでから支保工を立て、矢板を入れる(または吹付けコンクリートなどの支保をする)と後で土圧が働く。たいていのトンネルの本に当たり前のようにそう書いてある。土圧はゆるみ高さ何m
分働くとか書いてある。実際そうなるのだからよいが、何故そうなのか。ズリ出しがすむまで地山が自立しなければうまく施工できない。天の邪鬼で考えてみれば切羽地山が自立しているのだから支保工は要らないのではないか?
冷静に考えれば、雨が降ったときに土圧が増えるのでその条件で計算したのかも知れない。短時間の強度は大きく、時間が経つと強度が小さくなるのでトンネル掘りもできるのかなと今では考えている。
ところで、掘るときは誠に自立性がよく、あまり堅くもなく、火薬もあまり要らず、またはロードヘッダーの歯も余り減らずスイスイと掘れて、工事をする方にとっては危険も困難も少なく、利益も上がったようなトンネルほど後で強大な土圧で苦しむ例が多い。スイスイと掘ったところほど後が怖い。楽あれば苦ありの見本でもあるまいに。
逆に掘るときはさんざん苦労したのに、後では何ともないトンネルもある。支保工が押し曲げられ、矢板は折れ、地山が押し出してトンネルが小さくなってしまったので、おそるおそる1
区間ずつ矢板を外し、支保工を撤去して切拡げたら、地山はすっかり固まっていて、何ともない顔で自立しているという例もある。さんざん苦労したという話を聞いていたが、嘘をついたのではないかと後で難工事の応援に来た人から言われたりする。
一般的に言うと、ダイナマイトで爆破するとか、爆弾や鉄砲の弾が当たるとか、法面の高いところから石が落ちてきて落石覆いに当たるとかいう、衝撃的な荷重に対しては強度が大きく、ゆっくり荷重がかかるときは小さくなる。土圧や自重などのようにずっと掛かりっぱなしの時は更に小さくなる。切羽はこの中間である。数式で表すと
持続時間tR と強度σの関係は
となる。ここでP は材料による定数でコンクリートで15 〜140 位の測定値がある。σo :長期強度、限界強度。
コンクリートの方は安全率をかなり見込んで設計するので、長期強度を心配する必要は殆どない。地山の方は安全率を1.0 ギリギリで設計することが多いので、このP
の値がどれくらいか気になる。現地での工事にも影響は大きいと考えられる。
ところでP の値は地質によって変わるはずであるが、今のところデーターが誠に少ない。設計計算する人も、地質関係の人もこのような係数があることや、それが重要なことさえ気付いていないようである。
20. 3 次元効果、立体効果
たまに物理や地質の本を見ると、分かりにくい、チンプンカンプンのものに、結晶の説明がある。xyz 軸が直交しているものは何とか分かるが、斜めに交差している結晶とか、原子モデルというものはさっぱり分からない。これは多分私が本を見て分かろうとしているからで、立体モデルを手に持って説明を聞けばもう少し分かるのではないかと思う。
同じことが現場の説明でも起こる。現場にあまり来たことがない人に立体的な構造とか、トンネルの切羽の状態とかを説明すると、なかなか分かって貰えない。FEM
でトンネルの力学計算をする人や、ブロック理論などを唱える人は時間的に変化するトンネル切羽の立体的な姿が良く分かっていないのではないかと思うことがある。
自分でもあるトンネルの坑口の設計をしたとき、一応立体的に施工順序やその時々の力の流れなどを考えたつもりであったが、現場が始まってみたら如何に自分が図面で平面的に表されるものに惑わされて、立体的に考えていないかを悟らされた。幸い多少ボルトを追加するくらいでこの現場は済んだが、人間の頭、思考は紙という平面的なものに拘束されていることを実感した。そこへゆくと、地質調査をする人はなかなかうまいものだ、大したものだと感心する。露頭で、走向、傾斜を測って地中の地層分布が立体的にわかるのだから、こういう人はどういう優秀な頭脳構造になっているのか、今だよく分からない。
さて、そこまではよいのだが、その成果がトンネル地質縦断図になって、立体思考に弱い土木屋の手に渡ると、それからいろいろな問題・誤解が生じる。断層帯が何m
間あるからと、人員・資材の手配をし、工程をたてたが、断層位置が図面通りでないと言う類の苦情が生じる。
最近はコンピューターで立体的な絵を描くこともできるが、手軽に粘土か何かで模型を作ることも役に立つ。とにかく単細胞が多い土木屋に分かりやすい立体的な説明資料があると助かるのですが。
講座講座
さらに飛躍して議論すると、世の中には絵でも言葉でも表せないもの、計測しても数値に出ないものが数多くある。人間の特色は言葉、数字、絵などをあやつり複雑な思考ができることである。しかしそうかと云って言葉で表せないものを無視してはならない。
職人気質というものは、注文した人がそのくらいに出来上がったらもう良い、十分だと言っても、素人には分からなくても自分の職人魂が許さないとばかりに、気が済む品質まで仕上げることを誇りにした。これから使い込めば、あるいは100
年もたてば、この良さが分かるさと自分の技量を信じて行動した。
あまりにも職人の勘に頼ると非科学的になるが、、数値や図にばかり頼ると深みのない、とおり一遍のものしかできない。後で、さすがに良く調査してあると思える報告書が欲しい。
21.マニュアル時代の生き方
最近の技術界の特色の一つは示方書、手引書、マニュアルの普及、発達ではなかろうか。
マニュアル、計算式、教科書はないよりもある方が事故、間違い、勘違いが減る。経済的な計画、設計、施工になる。計画、設計の手間、時間、間違えるかも知れないとの心配が減り、能率が上がる。しかし、教科書、マニュアル、計算式、コンピューターに頼りすぎると、それらが欠陥、不完全なときは事故、間違いを起こす。
マニュアル、教科書などは机の上、事務所の中で作ることが多い。作る人は、頭脳明晰、成績優秀な人が多いが、現場を良く知っている、経験豊かな人とは限らない。たまには経験豊富な人もいるが、かなり昔の経験で、最近の変化、進歩に合わない場合もあるし、逆に若くて、優秀でも、昔の経験、経験則、いろいろな裏事情、事故例を知らないこともある。技術の世界にも以外と流行があり、新しい考え方、計算式などが脚光を浴びると、昔は皆が知っていた、必ず守っていたことが忘れ去られることも多い。忘れていなくても、あまり分厚い本は誰も読んでくれないので、あらゆる場合について決めておく原則にはなっていても、重点事項以外は省略してしまう。事務所の机に向かってマニュアルを作るという作業は現場に比べて緊張感が少なく、見落としが生じやすい。
また、一旦作ったマニュアルなどは現実の急激な変化に合わせて常に改訂、改良されているとは限らない。大先輩が作ったものは直しにくい。頭の良い、成績優秀な人ほど学校や教科書で習ったことを尊重し、現場での経験者の言うことを無視しがちである。
事故が起こり、ある程度進行した時点、現場にいれば当然気付くような簡単な、当たり前な事を往々にして全然気付かない、無視している、考慮していない。
現場の担当者は、計画、設計、加工、施工、事故対応をするときに一応マニュアル、教科書を思い出し、思い浮かべることは重要ではあるが、それには欠点も、欠陥もあることを念頭に置いて、目の前で起きている現象に真剣に、総力を挙げて対応すべきである。その時、指針、教科書を作った上司と、現場を預かっている若い技術者の間に上下関係があってはならない。
例えば、北陸線トンネル内列車火災事故:短いトンネルしかなかった時代のマニュアルだった。マニュアル通りにトンネル内で停車したことが死者30
名と事故を大きくした。
三河島脱線衝突事故:日本の汽車は世界一正確な時刻で運転されると言うのが国鉄の自慢であった。危ないときはまず列車を止めるという観念が欠けていた。まず現場近くの列車を止めれば死者160名という第2
、第3 の事故は避けられた。しかし国鉄の等級、階級制で、列車を止める権限が現場になかった。目の前に見えた筈の危険よりも取務権限の規則が優先された。
JCO 臨界事故の時の住民避難:原子力事故はいちいち本省に届け、許可を貰わないと避難もできないと決められている。原子力事故だからと言ってチェルノブイリ発電所のような大事故ばかりとは限らない。町長など、現場に権限を与えるべきである。
以上はいささか極端な例と思われるかも知れないが、次の例はどうだろうか。……コンクリートの勉強をして初めて現場に出たので、習ったとおり、硬練りコンクリートを打つよう指示したが、たちまち豆板(コンクリートの打上がり表面に砂利のみが集まって豆板状となった部分で、俗にジャンカともいう)ができてしまった。あくまで示方書を厳守すべく、厚さ40cm
、複鉄筋の高さ4m のコンクリートの壁を打つのに、2m 間隔の縦シュートの底に一人ずつ人を配置し(私自身も壁の底に入った)、長靴でコンクリートを踏み固めた。しかし、大変な労力で永続しそうもないことがわかり、施工者の言うとおり軟練りに変更したら、労力も少なくコンクリートのできも上々であった。しかも、できて20
年もたたないうちに手小荷物扱い所は不要となり、とりこわすことになったが、こわすのに堅くて困ったそうである。まあ、こういうのを専門バカというのだろう。……(土木学会誌、1982.11
、筆者は国鉄のエリート技術者)
ある橋梁現場で基礎にコンクリート杭を打つ設計になっていた。現場が初めてらしい、生真面目な現場監督がきて、地盤調査の結果と違って浅いところに支持地盤があり、杭が高止まりするのに、どうしても設計の深さまで杭を打ち込めと言って聞かない。仕方なく杭打ちを続けたら杭頭が破損したという。
さて、この話を聞いていた当時建設会社の新入社員に近い私は、自分の現場でも沢山コンクリート杭を打つことになっているので、前もって試験杭を何本か打ち基礎地盤の高さを調べた上で杭の注文をした方がよいと提案したが、新米の意見は無視され、沢山の杭が搬入された。試験杭を打つには、杭打機を早く手配し、職人も集める必要があり、それから杭を作るのだから途中遊びになり、当時は損料がかなり高価だった機械を長く遊ばせることになる。
結果は、高止まりした杭が立ち並ぶことになったが、その分の杭代金と工事費は貰ったので、その方が請負業者としては賢かったのかも知れない。
示方書、マニュアルを守るだけが能じゃない。そうかと云って東電原子力発電所シュラウドのひび割れ問題のように、面倒だから隠せとなるのは技術者としてとるべき方法ではない。悪法を守るべきか、と言うのは法律学の基本的な問題のようですが、示方書、マニュアルも同じ事である。
示方書等が現場に則しないときはどうするか。一番良いのは、示方書等に欠点、間違い、時代遅れが見つかったら直ちに訂正することであるが、これがなかなか大変である。発注者はまず、決められたことは守れと来る。しかし発注者、受注者の上下関係があっては技術は進歩しない。無理が通れば道理が引っ込む。『平和憲法死守』『憲法改悪反対』と同じで、何が何でも規則を守れではいけない。法律も示方書も、運用と改善が大切である。
「例外的であるが、検討の結果示方書を逸脱する云々」という資料・説明書を作り、適切な対策をする必要がある。勿論示方書等の次回改訂に役立つように説明書等を整理しておき、工事報告、論文などで発表する。所詮は人間の作った教科書、示方書に欠点・間違いは避けられない。『天網恢々疎にして漏らさず』とはいかない。欠点・間違いに一番先に気がつくのは毎日現場で調査・設計・工事をしている人である。気がついたことをキチンと技術の向上に役立てるのが技術者としての努めである。
参考文献
20)畑村洋太郎編著:続々・実際の設計失敗に学ぶ、日刊工業新聞社、1996
21)斉藤迪孝:実証土質力学、技報堂出版、1992
22)福囿輝旗:移動量から崩壊時刻を予測する方法(その1 、その2 、その3)、地すべり技術、1990.3 〜5
23)福島啓一:岩石・岩盤の挙動における時間効果、第10 回岩の力学国内シンポジウム講演論文集、1998
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