第1 話 アラスカ編 −キングサーモンの子供釣り−
昭和50 年7 月下旬から8 月中旬にかけて、仲間8 人でアラスカのマッキンレー山(6,000m )に登山することとなった。たまたま調子が良かったのか、用意周到準備が良かったのか、2
度のアタック隊を出し2 度とも成功し5 人まで頂上に立つことができた。おまけに、新アタックルートの開拓・新登山体系の確立と、その後のマッキンレー登山の形態を変えた成果を得た。
マッキンレー山登頂写真
登山が順調に行き登山のための日程に1 週間の余裕ができてしまった。その余裕を活用してアラスカ南部をドライブすることとした。
国道沿いのワシントン氷河・ポーテージ氷河・カーフェリーからのコロンビア氷河、また、名もない小河川に群がるレッドサーモン・グレーリン・レインボートラウト等見ながら、キングサーモン釣りのメッカであるスワード港についた。早速釣り船の手配に出かけたところ、一人当たり船代+入漁料+エサ代+貸し竿代金として45
ドル更にキングサーモンダービーに参加する場合は一人1 ドルとのこ
と。高いと思ったがダービーは不参加として代金を払った。
翌早朝、期待に胸を弾ませて船に乗り込んだ。船長はカルフォルニアの人で、バカンスを利用して自船をアラスカまで運び込み、バカンスとアルバイトを兼ねて楽しんでいるとのことで奥さんも同乗し我々の世話を焼いてくれた。
キングサーモンは潜航板を使い中層をトローリングする方法であったが、さっぱり魚信がなく今日はだめ模様だからサーモンはあきらめてオヒョウ釣りに転向することにし、竿をあげたところキープサイズには届かない30cm
くらいのキングサーモンが釣れていた。釣ったのではなく釣れていたのである。
次に、オヒョウ釣であるが船頭の話ではメーターサイズがバンバン釣れるとのことでワクワクしながら釣り始めたところバンバン釣れるがメーターサイズには程遠いリリースサイズのオヒョウばかりが釣れてくる。船頭に大きいのはいないのかと聞いたところ手を広げて頭を振るばかりであった。
すっかり期待を裏切られてしょんぼり帰途に着き港へ着いたところ、港の片隅に海へ張り出したデッキがあり釣った魚を解体する設備が整っていた。我々も多少確保した魚もあることからそのデッキで解体を始めたところ、他船の釣り客が意気揚々とメーターサイズのキングサーモンを3
本も持ち込み解体を始めた。腹を割き中の臓物を一気に取り出し海面へ捨て始めた。それを見ていた我々は思わずアッと声が出てしまった。中には立派なスジコが入っていてそれも捨てようとしていたからである。その声を聞いた解体者は我々に筋子をわけてくれた。
魚の解体状況
翌朝酒と醤油に一夜漬けした筋子を炊き立てのご飯にかけて食べたところ、マッキンレー登山の疲れを一気に吹き飛ばす程のおいしさであった。
アラスカでは、釣りなどと馬鹿げたことはしないで海に張り出したデッキのそばにいればおいしいものが手に入ることになっている。
アラスカスワード港 釣りのための桟橋
第2 話 インドネシア編 −国鳥「ガルーダ」釣り−
昭和54 年から56 年まで、コロンボプランエキスパートとしてJICA より、インドネシア国ランポン州タンジュンカランに派遣された。カタカナ文字が長々と続いたが、単純に書けばスマトラ島最東南端付近の海岸沿いの町である。海のすぐそばへ住む事になるとのことで、各種釣道具をそろえて赴任したとしても不思議なことではない。
月1 回程度のペースで地元の漁船をチャーターし、家族を連れたり、職場の仲間を誘ったりして魚釣りを楽しんでいた。そうしたある時、鳥山が立ち大きな魚が飛び跳ねているのを見つけた。船頭に聞くと「マグロの子供」だとのこと。早速タコベイト・ハリス8
号・大型のダブル針を取り付け準備OK と成ったところで、船頭に鳥山のところへゆっくりと船を進めるよう指示した。船が魚の群れに入るや否やすぐにガツンとしたあたりが有り「ヤッター」と思った瞬間にハリスが切れていしまった。今度はハリスをワイヤーに取り替えて魚影の群れに突っ込んでいった。すぐに当りがあり多少の駆け引きをしたが釣針をまっすぐに伸ばされてしまい万事休す。もたもたしている内、鳥山が去り魚影も見えなくなってしまった。
未練げに小さなマグロでもと思いながらタコベイトを流しているうち、上空に只ならぬ気配を感じて見上げたところ、鷲(ガルーダ)がタコベイトを見ながら首をかしげ近づいたり離れたりして「エサかゴミ」悩んでいるように見えた。これは大変だと思いタコベイトを引き上げているうち鷲は「エサ」と判断したらしく急降下し、タコベイトをワシ掴みにして空に向かって飛び立った。ベイトには大型のダブル針が付いており鷲の脚に針掛りして鷲を釣ってしまった。大きな爪や嘴を恐れながら何とかハリをはづし海面に逃がしてやった。その後、鷲はびっくりしたような顔をしてしばらく海面に浮いていたがいずこともなく飛び去っていった。
「ワシも驚いたろうが、ワシも驚いた」
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バリ島の海祭り |
バリ島での魚祭り |
第3 話 女川編 −106cm ヒラメ釣り上げた船に同乗−
平成14 年のある日仲間5 人で女川港よりヒラメ釣に出かけた。うち一人はヒラメ釣初心者で他はそれなりのメンバーであった。
釣り初めて緊張の3 時間が過ぎたが、かんばしい釣果もなくみんなの顔に諦めとあせりの色が見え始めたころ、船頭が初心者に対し冗談口でヒラメ用の竿はもっと軟らかいもので、仕掛けはこうで、水中での錘の位置はこうで、あわせはこうで等指導をし始めた。それからまたしばらく諦め顔でせめて30cm
オーバーのものを一匹くらい釣りたいものと考えているうち、初心者が異様な声を出してリールを巻き始めた。最初は竿がしなるだけでさっぱりあがってこないので、根がかりでもしたのだろうと思っているうち徐々に上がり始めた。
ヒラメが海底を切った頃から、猛烈な抵抗が始まった。糸が絡んでは大変と皆竿をあげ初心者の周りに集まり、手を出さず口だけ出して「ゆっくり巻け・竿を立てろ・竿をあおるな・ドラグがきつすぎる」等々と本人以上に興奮して叫んでいる。さすがの大物も時間とともに疲れが見え始めついに水面まで上がってきた。座布団よりも大きい掛布団サイズだと口々に言いながら誰もタモを持つものがいない。さすがの船頭もタモを持つのを躊躇している。しかし責任上船頭が狙い済まして一発で掬い上げた。さすがに大きい。メジャーだ・カメラだと騒いだがどれも持ち合わせがなく指尺で計り1m
前後とした。
船宿に帰り、正式計量を行ったところ12kg ・106cm あり、その船宿のレコードとなった。早速魚拓をとりその船宿に飾りつけた。
その後、初心者はヒラメ釣りの先生と呼ばれ我々を見下している。
女川での釣り成果
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