東北地質調査業協会の機関誌「大地」が、目出度く発刊40 号を迎えられましたことお慶び申し上げます。まさに継続は力なりで、これまで編集、発行に携わってこられた多くの皆様方に敬意を表する次第です。
私は、平成元年の「大地」創刊号から平成3 年の第5 号まで、広報委員長時代も含め3 年間、編集責任者として発刊に携わりました。それまでは、総務委員会で協会ニュース、技術委員会で技術ニュースが個別に会員向けに発行されてきましたが、折りしも東北協会が平成元年で創立30
周年を迎えたことを機に、協会理事会で両者を統一した本格的な機関誌を発行し、会員各社の情報交換、技術力の向上に役立てようという機運が盛り上がったのが契機であったと記憶しています。また会員だけでなく発注機関にも配布して、協会活動のPR
、業界の地位向上にも役立てようという意図もありました。理事会の要請で急遽ニュースを担当していた総務委員会、技術委員会のメンバー12名を招集して臨時の編集委員会を作り、理事になりたてだった私はにわか作りの編集責任者に祭り上げられました。この会員各社の営業マン、技術者を中心とした混成部隊の広報委員会が正式に設置されたのは、創刊号発刊の翌年の平成2
年度からで、文字どおり「大地」発刊の所管が広報委員会となり、正式に予算化された活動が認知されました。広報の重要性が認識され、協会の活動が時代のニーズで多様化し始めた頃でした。
とは言え、最初というのは何事も肝心でかつ大変な例に漏れず、ノウハウも殆ど無い中で機関誌のタイトルをどうするか、内容はどうするか、表紙や体裁、予算はどうするか等、当時の編集委員の皆さんと色々議論を重ねました。営業マンと技術者ではどうしても考え方に相違があり、私の役目はもっぱら両者の調整と予算の承認を理事会から取り付けることでしたが、ようやく「大地」と言う名称(30
周年記念誌「大地に未来を探る」から引用)で発刊に漕ぎ着けたのが実態でした。技術報文の図が拙劣で良く分らない等の多くの叱責も頂きましたが、予算も少なく投稿者の力量に頼らざるを得ない状況でした。編集委員の一人、技術ニュース編集の中心だった故天間則光さん(現(株)テクノ長谷)が、技術報文の原稿依頼から校正まで大部分を引き受けて、精力的に活動してくれたことが強い印象として残っています。このようにして生まれた「大地」が、立派に東北協会で受け継がれて根付いていること、また時々目にする大地が、創刊当時と比べ格段に充実した内容と体裁になってきていることに大きい感慨を覚えます。詳しく調べていませんが、長期にわたりこのような本格的な機関誌を発行し続けている協会は少ないだろうと思います。
私が「大地」編集に携わったのは創刊当初の3 年間の短い間でしたが、当時はバブル景気を背景とした地質調査業の発展期であり、現在とは大分異なった社会環境の中で活発な協会活動が可能な時代でした。現在は、一転して建設投資の減少が続く厳しい経済環境の時代になり、どちらかと言うと余裕の無いギスギスした世の中になりました。本や雑誌は、「時代を映す鏡」と言われていますが、このような時代にこそ「大地」発行のコンセプトをしっかりと見定め、今後も会員各社にとって存在意義のある機関誌として発展することを期待しています。私の跡を引き継いで頂いた歴代の広報委員長の皆さん、編集に携わった多くの委員の皆さんと関係者の方々、記念すべき40号の編集委員の皆さんに重ねて敬意を表し感謝いたします。
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