私の手元には「天から釣六十年」という昭和50 年3 月28 日発行の本(非売品・著者鬼川光)がある。私がイワナ釣りを始めてから10
年ぐらい経った頃に出会った1 冊の自費出版本である。この本のまえがきの書き出しは次のようにある。
『長い歳月、渓流つりを楽しみ、精魂を打ち込んで渓流つりに精進し、渓流魚の種族保存増殖に異状の関心と努力を傾倒した。
私のつりは「渓流つりに始まって、渓流つりに終るの一言につきる。(中略)渓流づりは健康に裨益すること甚大である。俗塵を離れて浩然の気を養い、命の洗濯をする、などと言われてるが、初めからそんな意図も目的もなかった。ただ釣技の向上を楽しみに、釣りたいので釣ったにすぎない。(後略)』
この本には、当時の玉川の魚道問題、田沢湖の漁業、天から釣りの詳細、渓流魚の生態、毛釣りのことなどがご自分の実体験に基づいて記されており、渓流釣りに関する種々の専門書が出ている昨今にあっても、イワナ釣りの大好きな私にとっては最も大事なもののうちの1
冊と
なっている。
私は本格的なイワナ釣りを始めて約30年、秋田県内の渓流の7 割程度の渓流を釣行したと思っている。初期の頃はとにかく釣ることに熱中し、やがてテンカラ釣りに夢中になり現在に至っている。無論「天から釣り60
年」の鬼川さんの域には到底及ばないが、「渓流つりに始まって、渓流つりに終わる」の部分は同様である。
私のイワナ釣りは、誰もいない、電話もこない山奥に入って自然の中で勝手気ままに沢を歩き、清冽な流れを体で感じ、冷たい水を飲みながら上流へと遡行し、少しの間日常の世界を忘れ、鳥の声を聞き、眩しいほどの緑の空気を吸い込み、瀬で、淵で、そして激しく流下する滝に向かって泳ぐイワナを見て竿を出し、テンカラの毛針にジャレるように食いつくイワナを、時には水面で、時には水中でかける…。
流れの両側にはブナ林があって小規模な段丘があったり、崖スイ地形があったり、急峻な一枚岩盤の雪崩地形の下にはスノーブリッジがあったりする。そしてそこには様々な山菜や平地では見られない植物が見られる。早春、サシボ(オオイタドリの芽)、バッキャ(フキノトウ)、アザミ、時には白い蕾を付けたワサビの群生に出会ったり、里で桜が咲く頃には、ゼンマイ、ウド、ミツバ、ミズ(ウワバミソウ)、ダイモンジソウ、コシアブラの新芽などが、晩春〜初夏には竹の子(チシマザサ)も採ることが出来る。そして時には紫のシラネアオイやカタクリ、キクザキイチゲ、イチリンソウ、ギョウジャニンニクの群生を見ることもある。
秋、イワナ釣りは禁漁となっても渓流やその周辺には、マイタケ、クリタケ、ナラタケ、ナメコ、ムキタケ等のキノコやヤマブドウ、コクワ、マツプサ、アケビ等の山の幸と出会うことが出来る。この季節、イワナは流れの緩い浅場の小砂利を掘って産卵を行う。そして早春に孵化した稚魚が、6
月頃水溜まりのような浅く流れの少ない場所で元気に泳いでいるのが見られる。
イワナのいる渓流を表現するものとして、以前何かの本に記されていた言葉をいつも思い出す。『渓流は川の下にも川があり、川の横にも川がある』。私達の目に見える渓流は、いかにもこの言葉がぴったりする。イワナはこれらの渓流環境の全体を利用して生きていると言えよう。
しかし、このような単なるイワナ好き・山好きの私が学術的な自然環境調査を行える訳はなく、動・植物の専門調査会社として、どうにか一人前と思えるようになるには長い年月を要した。そしてこれは何よりも周囲の専門家の方々のご指導があり、更には勇気を持って新分野の業務にチャレンジした若い社員達の努力がある。
21 世紀を迎え、益々地球環境〜地域環境を考えた諸施策とその実行が重要となっている。私達も個人のこと、会社のこと、地域社会のこと等、すべてにおいて一人一人が成し得ることを実行し、遠い未来まで楽しいイワナ釣り、山菜採りが出来る環境であることを念願して、今を戒めながら生活して行きたいと思っている。
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