技術部 手塚 克己

28.第3回おらほの会社(株)キタコンの巻


 1.おらほの青森県の変遷

青森県は、江戸末期まで東津軽郡平内町(青森市の隣町)を境に東は南部領、西は津軽領に分かれていました。明治元年12 月に青森県は「陸奥」となり、弘前、黒石、斗南、七戸、八戸の各藩に分かれていましたが、明治4 年7 月の廃藩置県により、各藩は各県(例えば弘前県のように)になり、同年9 月に各県が合併して青森県になりました。その当時の人々は、現在のような情報もなく、いつのまにか青森県になっていた という人が多かったようです。

2.おらほの会社
(1 )会社のPR

潟Lタコンは、今年で創立41 年目になります。本社を青森県弘前市に置き、仙台支店、青森・八戸・山形・盛岡の各営業所が有ります。主に東北圏内を活動地技術部手塚 克己域とする総合建設コンサルタント会社です。営業種目は、測量、計画設計、地質調査、補償業務、さく井工事ですが、近年白神の自然環境を対象としたワシ・タカ、コウモリ、ニホンザルなどの生態調査も手がけています。我が社は、昭和37 年に北日本建設コンサルタントとして設立、社名が長い為、顧客からは略称で「北・コン」と呼ばれていた。 それに応えるために、平成2 年社名を「北・コン」=「キタコン」に変更し、現在の潟Lタコンになりました。社名変更当時、コンクリートのイメージが強く、生コン屋さんですかとよく言われました。


(株)キタコン

(2)社員のちょっとした悩み


当社は4 階建てで、1 階営業、測量、2 階総務、3 ・4 階技術部が利用しています。建物の周りに駐車場がありますが、一見広そうに見えるが実は狭いのです。 それは、冬期の降雪です。 雪かきにより、駐車場の外側に高さ3m ぐらい雪山ができ、駐車スペースが夏場より極端に狭くなるのです。 そのため駐車するのが大変です。あたりまえですが、雪国の生活は、夏場より冬場が大変です。 特に雪による思わぬ生活障害が発生します。当社社員の多くは、早朝から自宅の雪かき、会社の雪かき、さらには帰社時の自家用車の排雪、自宅の駐車スペース確保と1 日最低4 回の雪かきを覚悟しなければなりません。 雪国で住宅を建てるときは、屋根雪の落下方向や落下スペースを見込んで、敷地を広めに購入(できればいいのだが)、屋根勾配の方向を決めなければ、隣近所の付き合いのトラブルになるので、注意しなければなりません。


弘前公園の桜

3.弘前の桜とネプタ


弘前城の桜祭りは、4 月末からはじまるゴールデンウィーク期間に行われます。例年、この期間に桜が満開になる予定ですが、一昨年は温暖化のためか早く咲き、ゴールデン期間には葉桜となり、観光客をがっかりさせました。 一番がっかりしたのは、観光客を相手にする商売の人たちかな。 今年はゴールデンウィークが満開となり、弘前城を訪れた観光客も100 数万人と言われています。

 当社の恒例として、ゴールデンウィーク突入の前日に花見(こちらでは観桜会といいます)を行います。 全社員が午後3時に弘前城に集まり、酒を飲むのです。 桜より酒です。

 私も含め、桜祭り期間中だけ弘前公園に来るが、その他の時期に来ることはまずないというのが実情でしょう。 みんな目的は「花よりダンゴ」酒 ですね。日本一の桜も当社にとっては、酒のつまみなのです。

 弘前のネプタは、扇ネプタで、扇子を開いた形をしています。祭りは8 月1 日から7 日まで続きます。 これらのネプタは各町内会の有志が集まり、製作します。 また、町内会の子供たちが、ネプタの先につけたロープを引張り、太鼓、鐘をたたき、笛を吹き、市街地を運行します。ネプタ作りは6 月末から始まります(ただし、鏡絵や送り絵は1 年前から構想が練られているようです)。当然、太鼓や笛を吹く子供たちは、人数に限度がありますので、6 月末から、子供自身のやりたい太鼓や笛を練習して、自己PR し、太鼓や笛を決めます。そのような子供の姿をみていると、ネプタは地域に密着した祭りだと感じてならないのです。

 当社社員の中にも、ネプタ作りに参加している人がいます。ネプタつくりはボランティアで、「好きでなければできないよ。」と言っているが、子供の時からネプタに参加しているから好きになる素質は十分に備わっているのです。だから大人になってもネプタ作りが好きになる。これがこの地域の文化として受け継がれてきたし、これからも受け継いでいかなければならないと考えています。

おらほの会社おらほの会社(株)キタコンのご指名で、次回のおらほの会社は、「(株)コサカ技研」さんです。

弘前のねぷた
目次へ戻る