日本工営(株) 中條 聡

16.土木遺産安積疏水


 1.はじめに

何気ない構造物。部分的には苔むし、木々に覆われ、夏場には何となく涼しげにも感じる。コンクリートの壁にも覆われず、石畳で構築され、美しい曲線で構築され、おもむき・風情がある。 日本には、多くの土木遺産があり、東北にも土木遺産と登録されているものがあります。明治時代、東北地方で行われた土木事業の中でも、規模、地域への貢献が最も大きかった事業が土木遺産となっています。明治当初より、計画・施工が行われ、猪苗代湖の水を原野に流し、広大な原野を農地へと変遷させた事業です。その事業が福島県の中心に位置する郡山周辺に水を運んだ「安積疏水事業」です。

 2.安積疏水の背景と工事概要

 1 )安積疏水の背景
福島県の中核都市である郡山市は、古来、奥羽街道の一宿場町であり、「安積三万石」といわれ、水不足に悩まされてきました。年間雨量は1,200mm あまりで、阿武隈川支流の各河川は流域が小さく、低地を流れていることから用水として利用するには困難でした。このため、3,800ha と広大な水田がありながらも、米の収穫量は水田能力の約半分にも満たなかったそうです。また、明治時代当初、政府は、失業した士族の相次ぐ反乱の対策、士族授産・殖産興業の解決策に迫られていた時代でもありました。このような背景のもと、安積疏水は明治12 年から施工が開始され、3 年後には疏水事業の完成にいたりました。

安積疏水全図(古図)と当時利用されたトランジット

 2 )工事の概要
安積疏水は、猪苗代湖の水を郡山側に通水するもので、水路全体の長さは366km にも達します。水路トンネルも37ヶ所におよび、建設機械のない時代で、すべての工事が手作業で行われました。工事期間が3 年であったことを考えると、いかに大変な工事であったかが伺われます。郡山市の人口が約7,000 人であった当時に延べ人員は85 万人にも達したことでもその過酷さがしのばれます。特に、明治時代の当初にトンネルを掘る工事は、大変な事業で、長さ591m の沼上トンネルでは漏水に見舞われ、15 ヶ月間で、水をくみ上げるための人員が9,000 人も必要であったと記録されています。


当時の工事の様子

安積疏水工事資料 当時の工事の様子

 3.土木遺産「十六橋水門」と「ファン・ドールン」
安積疏水の成功の鍵は、猪苗代湖の水位制御の問題でした。明治時代まで、猪苗代湖の水は、西側(会津側)にしか流れておらず、安積疏水計画が持ち上がった時、猪苗代湖の水が減ってしまうと周辺の村々から反対が起こりました。この問題を解決したのが「ファン・ドールン」であり、その指導により構築されたのが「十六橋水門」です。「十六橋水門」は、水面の低くなる分だけ、河川の川底を掘り下げ、橋を作り直し、橋の下に水門を作り水量を調節できる工夫をしました。「十六橋水門」は、会津・郡山どちらの地域にも公平に水が行き渡る工夫がされ、安積疏水に命の水を流すことが出来るようになったのです。


安積疏水地区平面図

 4.安積疏水事業への想い


歴史ある事業であり事業に関するエピソードは、たくさんあります。中でも、地元の方々の事業に対する思いや、ファン・ドールンに対する思いが読みとれる次のようなエピソードがあります。ファン・ドールン(コルネリス・ヨハネス・ファン・ドールン:1837 〜1872 )は、オランダ生まれの水利土木技術者で、明治政府に土木技師として招かれました。安積疏水以外にも多くの農業水利の技術育成に大いに貢献しました。安積疏水においても西洋式近代工法を取り入れました。この貢献を後世に残そうと、昭和6 年に銅像が建立されました。その後、第二次世界大戦における慢性的な資材不足を受け、金属の供出のため撤去される予定でしたが、その話を聞いた地元の人が、銅像を台座よりはずし、地中に埋め、戦後まで恩人の銅像を守ったエピソードが残っています。
 

十六橋水門

ファン・ドールンの銅像

現在、銅像は、十六橋水門の横に再び建立されています。写真を見ると、少し銅像の足元の色が変わっているのがわかるでしょうか。銅像は少々痛々しいですが、心温まるお話であり、地元の方々の事業に対する感謝の声が聞こえてくるようです。

 5.安積疏水の恩恵

安積疎水がおよぼした影響は多大です。現在は、郡山市は全国の市町村でコメ生産量第二位という位置を占めています。また、安積疏水事業は、農業用水としてだけでなく、発電用水・工業用水としても利用されるなど、様々な形で地域発展にも尽くしてきました。昭和18 年には、安積疏水と山側にほぼ並列する形で「新安積疏水事業」も始まり、安積疏水の恩恵が受けられなかった地域にも、農業用水の供給が行われています。

 6.おわりに

安積疏水事業は、明治時代まで、原野といわれた土地を開拓し、農業だけでなく工業まで発展させ、中核都市を築き上げた歴史を持っています。その鍵となったのが、土木遺産である「十六橋水門」。猪苗代湖の真近にあり、筆者が訪れたときには竿をたれる若者たちがおりました。猪苗代湖の湖畔にたたずみながら、歴史にふれるのもいいものです。なお、今回の訪問にあたり、安積疏水土地改良区ならびに、東北農政局新安積農業水利事業所の皆様には、資料の提供をはじめ多大なるご協力をいただきました。ここに記して感謝の意を表します。
 
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