協会誌「大地」No45

中央開発(株)東北支店 支店長  飯野 敬三

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31.東北にきて早4年目

(はじめに)

東北地質調査業協会広報委員長からの強い要請があり、「大地」に投稿させて頂く事になりました。正直なところ今まであまり「大地」にも興味はなかったのですが、この機会にバックナンバーを確認してみると、東北で活躍している同業者の状況や人物が良くわかり非常に参考になりました。

(自己紹介)

私は、1957年(昭和32年)東京都練馬区で生まれ、土木系の高校、大学を経て、昭和54年に中央開発に入社しました。入社試験は土木で受けたものの当初から営業系を希望しておりました。

私が高校に入学した昭和47年当時は、製図はケント紙にカラス口で墨入れ、測量は対数表に計算尺を使用していた時代で、不器用な私には到底勤まらないというイメージがあり営業を希望しました。営業では本社東京で6年、千葉で14年、そして東北に転勤になる直前は大阪に3年間勤務しておりました。

(大阪から仙台へ)

大阪に転勤して最初の業務打合せに参加したのが、近畿農政局大和平野農地防災事業所から発注された老朽化ため池の調査設計業務でした。関西地区は年間降雨量が少なく昔からため池の多い地域です。この農政事務所でも100箇所程度のため池改修を実施していました。

その初回の業務打合せで発注者から注意されたことが「このため池の近辺は藤原京の外壁があった場所なのでボーリング調査するに当たって教育庁の立会いで調査位置をきめてほしい」とのことでした。私も個人的にその位置を橿原考古学研究所の付属博物館に行って確認すると、まさに調査を実施する位置が外壁部にあたっていたのに驚きました。さすがに歴史のある関西ならではのことであり、関東に長くいた私には、カルチャーショックを受けた気分でした。若いときに司馬遼太郎の本を読んでいた私には、大阪にいるということが宝の山に入り込んだ様な気分でおりました。家族が大阪に来るまで間、東大阪市にある会社の寮を起点に奈良でも京都でも1500円程度の交通費で行けるのですから、暇な土日は一人で観光地めぐりをしました。東京人が大阪に行くと、関西弁に圧倒されるのと東京にたいする意識が非常に強く、“東京がなんぼのもんじゃ”という言葉か印象に残っております。大阪のエネルギッシュなパワーは私にとって公私ともに貴重な経験となりました。

そして平成14年に東北支店に転勤となりました。今まで東京、千葉、大阪と比較的温暖な気候のところに居たせいか、東北の冬の生活はきびしいものがありました。なにしろスタッドレスタイヤで運転するのも初めて、除雪車を見たのも初めてでした。道路脇に立っているポールや温度表示盤がある光景はなにか異様な気がしました。東北に来て最初の冬に山形県の鶴岡市から月山道路を抜けて仙台に帰る時は、道路が一面白銀の世界で、視界が悪くどうなることかと思いました。初めて東北の厳しい冬を実感しました。ただ、東北は関東圏からの転勤族も多く、大阪のような違和感はないので安心しておりました。

東北支店に来て最初の業務打合せは、国土交通省塩釜港湾・空港事務所から発注された仙台空港アクセス鉄道関連の地下水調査業務でした。「この地域の地下水位は貞山堀の水位に大きく影響される」とのことでしたが、“貞山堀”というのが何のことだかさっぱり分からない状況でした。そこで早速、宮城県立図書館に行って、その歴史的背景を調べました。

そこで始めて“貞山”というのが伊達政宗の諡(おくりな)であり、伊達政宗が晩年に松島湾から阿武隈川を結ぶ全長49kmの運河であることを知りました。大阪、仙台と何か最初の打合せに歴史的な土木構造物と巡り合うものだと感じておりました。

(趣味)

私の趣味は、ゴルフと読書なのですが、ゴルフは運動神経の鈍さによりなかなかうまくならない状況です。転勤するとまずゴルフ練習場を探しに行くのですが、仙台のゴルフ練習場は冬に雪が積もってもクローズにしないでやっているのには驚きました。ゴルフを始めた時は川浪ゴルフスクールとうところで2年間ほど習っていましたが、収穫のあったことは今の妻と出会ったことと仕事以外の友人ができた事ぐらいです。また、一昨年青森で行われた協会のゴルフコンペの時は、持病の通風発作により途中棄権したことは残念であり、その時の参加された皆様にはご迷惑をおかけして大変失礼致しました。

趣味の読書は、ノンフィクションを中心に偏愛的な傾向があり、お気に入りの作家を集中的に読む様にしております。また、その地に行けばその地の文化や芸術を学ぶことを心がけておりますが、一昨年直木賞・山本周五郎賞のダブル受賞をした熊谷達也の「邂逅の森」や「荒蝦夷」などは東北の歴史と風土を知る恰好の材料であり興味深く読みました。勿論、司馬遼太郎の「街道をゆく」の東北シリーズや山本周五郎の「樅の木は残った」、藤沢周平の作品なども再読しました。学校教育の歴史では、中央の歴史が全ての様な教え方をしておりますが、地方の歴史や魅力を見つめ直す必要があると最近感じております。

(業界の展望)

さて、地質調査業界においては、ここ数年公共事業の削減と連動して右肩下がりの傾向が続き厳しい受注環境のなかにおかれております。当社においても同様で、人員整理や経費削減でなんとか凌いでいるというのが現状です。

ここ数年においては集中豪雨や地震による自然災害が多く、その被害規模も以前よりも大きくなってきている様に思います。まさに脆弱な日本列島をいかに安全・安心な街にしていくかが課題であり、土木技術が活躍する場はこれからも多くなってくるものと思います。

当社の営業においては、このような状況を見据え地域防災計画の作成業務やハザードマッブの作成業務といった新たな分野にも挑戦しており、それを起爆剤として営業の活性化を図っております。

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