協会誌「大地」No45

堀江 四郎

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22.みちのくだより山形 山形五堰(やまがたごせき)

今年の夏は、梅雨明けを前に記録的な暑さが続いた。ある休日の昼下がり、しばらくぶりに、家の周りを散策していた。

光禅寺(戦国武将最上義光の菩提寺)の脇を流れる堰で、小学校の低学年の子供達が笹船流しをして遊んでいた。子供達は笹船の流れの勢いに一喜一憂しながら、私の脇を通りすぎていった。

遠い昔の話になるが、当時通学していた小学校(山形市立第六小学校)の校舎の脇には、五堰の一つである笹堰があり、いつも綺麗な用水が流れていた。

四十数年経った今でも、昔ながらの石積み堰が残されていて、付近に住む人々の憩いの場(当地では親水空間と呼ばれている)となっている。

下校の時は笹船を浮かばせて、船の行方を目で追いながら、堰の傍らを必死に走りまわりながら遊び興じたものである。途中には、大きな_木の森に覆われて、白昼でも薄暗い六椹八幡宮の境内があり、狭い裏通りの民家の間をくぐり抜け、家まで笹舟を追って帰った日々の思い出がふと甦った。

いまでも面影が見られるが、家(山形市鉄砲町)の前には綺麗な石積みの堰があた。当時の一般家庭では、その堰の水で米を研いだり、野菜洗いなどの生活用水として使用していた。そのため、地域の人々には、堰の下流の方への優しい心遣いがあた。堰に石を投げ入れたり、汚したりすると母をはじめ、近所のおばさん達によく叱られたものである。

山形市街地に住む市民にとって、生活空間の一部になっている山形五堰について紹介したい。

五堰は、笹堰・御殿堰・八ヶ郷堰・宮町堰・双月堰の五つの堰の総称で、現在も市街地に残る農地と下流域の農地を潤す用水として重要な役割を担っている。

市街地を網の目のように流れる堰は全国でも少なく、「山形五堰」は山形市の特徴となっている。山形五堰の総延長は115kmであるが、コンクリート水路等への改修により、昔の石積水路が完全な形で残っているのはわづかに8kmとなている。

また、五堰の取水源は馬見ヶ崎川で、現在は用水の安定供給を目的に造られた馬見ヶ崎川合口頭首工より一括取水され、その後各堰に分水されている。

その歴史は古く、約400年前の寛永元年(1624年)、当時の第14代山形城主鳥居忠政公が、大雨のたびに洪水をおこす馬見ヶ崎川の流路を変更する工事を行いこの事にあわせて、城濠への水の供給と水不足で悩む農民のための農業用水、城下に住む領民の生活用水の確保のため、蔵王山系の水が集まってながれる馬見ヶ崎川に五ヶ所の取水口(堰)を設けたことが始まりとされている。昭和初期頃までは、農業・生活用水をはじめ水車を利用した製粉業・精米業や養鯉・染物・鰻問屋など様々な産業に活用されている。

現在は、農業用水や防火用水機能のほかに、街中に残る歴史的遺産として保全し、景観を生み出し身近に水に触れる親水空間として活用されている。また、五堰上流部では、綺麗な水にしか生えないといわれる水草(梅花藻)の繁殖やオニヤンマの幼虫・蛍などを見ることができる。

五堰の持ついろいろな機能

堰は、本来の農業用水としての機能の他

近年は、下水道の普及と美化意識の向上によって清流が戻ってきている。故郷の街の堰は、時の流れに関わりなく、いつも綺麗な清水が流れる水路であってほしいものである。

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笹堰

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御殿堰

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八ケ郷堰

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宮町堰

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双月堰

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第六小学校東側を流れる笹堰

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