(有)みちのくボーリング  高橋 晃
23.みちのくだより青森 「地球の負の遺産」を退治するJKK工法

はじめに

 私は本州の北の果て、青森県黒石市で地質調査会社を営んでいます。本社は黒石市の南のはずれに位置する落合温泉郷に構えています。ここは十和田湖への玄関口に位置していますので観光客の行き交う所ですが、国道から川ひとつ隔てていますので、割りと静かな環境です。


JKK工法との出会い

 今から十年ほど前、幼馴染の友人から「EM菌」というものを聞かされました。
 最初は余りにも何にでも効くような話なのでホラ話程度に聞いていたのですが、当時八十歳を過ぎていた母が骨粗しょう症という病気にかかりまして、全く無気力になってしまっていたところ、この友人が「これを飲ませてみろ」と何だか得たいの知れないものを母親に飲ませたの驚いたことに、母は2〜3日後には元気を回復し、ほぼ一年ぶりに畑に出ると言い出したのです。それ以後、今日に至るまで還暦を過ぎた息子の私よりも元気に畑仕事を楽しんでいるのです。
 そんなこともあって、私はすっかりEM菌とこの友人の話を信用するようになったのです。友人の名前は木村将人といい、当時は公立中学校の教師をしていました。
 三年前、この木村氏から企業組合を設立するから副理事長になってくれと依頼されたのです。今までのボランテイア活動から脱皮して、EM菌の働きを土台にして、木村氏が独自に開発した環境浄化工法で「世の中の負の遺産を退治するのだ」との理想を聞いて、二つ返事で引き受けたわけです。
 以来、三年間様々な環境浄化作業を経験してきました。今日はその中から幾つかをご紹介したいと思います。
 なお、木村氏は設立時「専務理事」としてスタートしましたが、その後、「JKK工法技術研究所」を設立し所長となって、現場ごとの浄化液を的確に製造してくれております。


JKK液投入
JKK液投入


JKK工法の具体例(その1)ダイオキシン測定値を18万分の1に削減した。

 企業組合縄文環境開発を立ち上げた3年前、青森県八戸市のある産廃業者さんから相談を受けたのです。
 産廃業を辞めたいと思って建物を解体し始めたのだが、焼却炉と煙突を残すのみになった時、市役所からストップがかかった。ダイオキシン対策をしなければ解体できない。その解体費は数千万から一億円くらいもかかるといわれ、途方にくれている。ダイオキシンがなくなれば問題がないのだが、そんな方法は聞いたことがない。たまたま縄文環境開発さんの話を聞いて頼みに来たというのです。
 我々は軽く考えて即座に引き受けました。
 10月の寒い日でしたが、JKK工法をフル活用して作業をおえました。
 二ヶ月ほどして調査会社の結果が出てきたのですが、我々さえも驚くほどの結果で、後日、この数字を見た国土交通省や県の職員はパニック状態になったといいます。
 ちなみに、我々にダイオキシン軽減工事を依頼した社長さんは、その後自前の大型機械で煙突も焼却炉も従来の工法で解体し、その残骸は普通の粗大ゴミとしてタダで市の処理場にもっていったといいます。
 この社長さんは、我々企業組合縄文環境開発を知って、いったい幾らくらい儲けたんでしょうね。


JKK作業中
JKK作業中


(その2)透明度ゼロの海域が、一週間で透明度1メートルに

 次の話も俄には信じてもらえないような話です。
 昨年の夏、港湾工事を請け負っている会社の社長さんから相談の電話が入りました。
 国と県からの依頼で防波堤の拡張工事を行っているのだが、水中コンクリートを打つために働いている潜水夫から職場放棄を宣言された。長年積み重なっていた生活排水の層を掘削機械で掘り起こしたら、とんでもない悪臭が発生し水もドロドロになり、視界はゼロ。おまけに体中に染み付いた悪臭は風呂に入っても落ちないし、体中に湿疹が出てきた。私が見ても、この海の中にもぐって仕事を続けてくれとはとてもいえないようなヒドイ海だ。工期終了の時期も迫ってきている。何とか助けてもらえまいか。
 早速木村所長が現場に赴き、工事を請け負ってきました。
 「二週間で元のきれいな海水状態にしてやろう」とタンカを切ってきたと聞かされたときには、さすがに不安でしたが、案ずるより産むが易しで、なんと、作業  開始のその日のうちに鼻を押さえたいほどの悪臭が皆無になってしまい、一週間後には透明度が1メートル、作業終了の三週間後には透明度2メートルという結果を出していたのです。  肝心の潜水夫さんは、一日目の作業のときから体のかゆみがなくなり、悪臭もすっかり取れたと大喜びでした。
 この時の様子を今年の6月3日に我々が主催した「JKK工法県民フォーラム」で、社長さんと潜水夫さんが壇上から証言してくれたのです。
 このフォーラムには青森県の蝦名副知事さんがお祝いの挨拶に駆けつけてくれたばかりでなく、午後のフォーラムにも進んで一パネラーとして出席してくださり、我々企業組合縄文環境開発に熱いエールを送って下さったのでした。
(まだまだあるのですが、紙数が尽きましたので、この辺で終わります)
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