東北地質業協会 理事(宮城県)  早坂 功
03.ごあいさつ

 この度、過日の定時総会におきまして、図らずも吉川謙造理事の後任として、宮城県の理事にご推挙して頂きましたことは、誠に光栄なことと存じますが、その責任の重さを思うと大変なことをお引き受けしたものと身が縮むばかりです。協会活動が全く無い私ですが、理事長はじめ諸先輩理事のご指導と会員皆様のご支援ご協力のもとに精一杯努めたいと思いますので、宜しくお願い致します。

 さて、日本・東北の経済不況そして建設業、建設関連業を取り巻く環境の厳しさはまだまだ継続しており、地質調査業界ならびに地質調査業協会も嘗て経験したことの無い危機的状況にあることは皆様周知のことと存じます。特に、公共事業縮減に伴う「業務量(発注量)の極端な減少」が最も深刻な問題で、会員各社におかれましても業績(売上高)の減少化を余儀なくされ、ピーク時の半分以下のところも多いものと思われます。この不安状況を一掃すべく、全地連及び協会で は21世紀ビジョン作成をはじめとする数々の取り組みがなされ、土壌・地下水汚染分野への進出などその成果の一部が見られるようになりつつあります。しかし、まだまだ先の明かりが見えないと言うのが実情ではないでしょうか。

  地質調査業の業務量を確保・拡大するには、地質調査がいつの時代でも無くてはならないものであることを、従来の発注機関だけでなく広く国民に知ってもらう必要があります。地質技術者を「ジオ・ドクター」と称する事がありますが、医者は人の命を預かるものとして社会的地位が高くその存在感も大きいのに対して、我が「ジオ・ドクター」はインフラがある程度なされた現在では自然災害時以外にその出番は少なくなくなりつつあり、社会的認知も再び低くなろうとしております。今、全地連及び協会が取り組まなくてはならないことは、地質調査業者が地球・地盤の「ジオ・ドクター」的役割を担うものとして高い社会的認知を得ることであり、若い人たちがこれからも安心して参加出来る企業、業界であることを提示することだと思われます。

 これからの業界、協会を考えますと、30代〜40代の若い人達を中心に据え置き、経験豊富な50代以上の人が補足するぐらいでないと、この新しい時代に沿った改革は出来ないものと判断されます。

 少々手荒い言い方かもしれませんが、業界、協会の今後の隆盛を期待するには若い人中心の組織つくりが必要不可欠であるといえるでしょう。私は今年還暦の60歳であり、今更新しいことに取り組む体力も知力も持ち合わせておりませんが、若い人たちへの限りない応援とそのためのエネルギーはまだまだ備わっておると自負しておりますので、何とかこの東北みちのくの業界、協会の発展に寄与するお手伝いが出来ればこの上ない幸いと思っております。

 なお、私の経営する(株)テクノ長谷の創業時期は協会設立時と同じ昭和34年で、46年間に及ぶ協会の歴史に沿うように当社も歩んでまいりました。当社が現在もこうして協会の一員として末席に名前を連ねることができますことは、ひとえに協会ならびに役員・会員皆様方のご指導ご鞭撻があったればこそと感謝しており、この場をお借りして御礼申し上げます。

簡単ですが、理事就任のご挨拶に代えさせていただきます。


(略歴)
昭和20年
  宮城県塩釜市生まれ
昭和38年   東北学院高校卒業
昭和44年   東北大学理学部地学科卒業
昭和44年   (株)長谷地質調査事務所入社
(現(株)テクノ長谷)
平成5年   (株)テクノ長谷取締役
平成6〜15年   東北理工専門学校講師
平成13年   (株)テクノ長谷代表取締役
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